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ニュアンス・チェンジ

さいきんは、いつもより夕焼けや夜空が美しいし、いつもより過激な夢をみるし、いつもより人のことが腹立たしいし、いつもより自分のことが嫌いだ。知らない人の表情のなかに一億通りの悲しみを見つけて、愛おしくなったり、苦しくなったりしている。田んぼの奥に広がる夕焼け、民家から漏れるあどけないピアノの音、一生関わることない家庭の夕飯のにおい、そういうのは美しくて愛おしくて、鬱陶しいほどわたしを揺さぶる。歩いていても、突っ立っていても、どこにも焦点は合わない。
バイト中、シフトがよくかぶる歳上の栞さんがわたしの頭部をじっと見つめてきた。「何かついてますか?」そう聞くと「あ、いや、白髪があるかなと思って。短いけど、たぶん白髪」と言われ、私は「あちゃー。ストレスですかね」と言ってへらへら笑った。生まれて初めての白髪だ。本当はすこしもおもしろくない。恥ずかしかった。
トイレへ行って、すこしサボって携帯を見ていると、恋人から音声メッセージが来ていた。音量を1にしてスピーカー部分を耳に当てて聞いた。

「今は7時5分、夜の7時5分、今日は一日寝ていました。何もしてないので、ちょっと録音でもしてみようかと思って。焂ちゃんは、今はバイトだね。バイトがんばってね。焂ちゃんがバイト終わる頃にはお風呂に入っていると思います。また、トイレでも行ったら連絡ちょうだい~。それでは。」

わたしはどこにも力が入らないまま、ただ目元から、涙がぼとぼと落ちていくのを感じていた。なんて温かいメッセージだろう。わたしは彼みたいになりたい。温かい人になりたい。

家に帰ってすぐ、お母さんに「ねえ白髪ある?」と確認した。「ええ?うーん、ないよ」「でも、あるって言われた」「光の反射じゃない?傷んでるし」白髪を探してもらいながら、わたしはチョコレートを食べすすめた。ここ数日、チョコレートを食べまくっている。今日だけで1キロは食べた。結局白髪は見つからなかった。食べたチョコレートが喉から頭のほうへ浸透して、白髪を染めてくれたのだろう。

はやめにお風呂に入らなきゃ、と思ってチョコレートのゲップをしながらパジャマを用意していると、懐かしいバンドTシャツが出てきた。高校時代の彼氏のバンドのだった。当時、そのバンドマンは妹に土下座して金を借りていた。しかし、それは彼の交通費くらいにしかならず、サイゼリアでのデート代も私が支払った覚えがある。今では営業の仕事をしているらしいが、半年くらい前に会社の車で事故を起こしてとんでもないことになったと聞いた。それからのことは全く知らない。働いているかどうか、生きているかどうかもわからない。当時21歳だった彼は、ろくに働かずにバンドだけやっていた。当時十七だったわたしは、交際しながらもそんな彼を「ろくでもない人」だと認識していた。今、わたしが二十歳になってやっと、彼はろくでもないだけじゃなかったんだと気づく。ろくでもなくて、かっこ悪くて、人生に素直なひとだった。あと二ヶ月で、わたしはあの時の彼の年齢になる。21だったあのひとにすこし憧れている。わたしは忘れない。彼の作った曲が、十七だった私の光だったこと、その曲の真っ直ぐで力強い美しさを忘れてはいけないのだと思う。彼がボーカルとして活動していたバンド名の和訳は「青春の再構築」だった。とってもダサくて、嫌味がなくて、かっこいいじゃん

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