【Utaku雑記】他人に「〇ね」とか言っちゃう人に対する精神的マウントの取り方
こんにちは!
晩酌中のUtakuですm(__)m
雑記します笑
前回はこちら↓
突然ですが,最近twitter上の質問箱で以下のような質問を頂きました!
アンチコメントへの向き合い方,noteで
教えてくれると嬉しいです!ウタク流,まってます!
いつもこの一般人めに質問を下さりありがとうございます.
やたら最近SNS上での誹謗中傷がメディアに取り上げられることが多いですよね
芸能人の方も何人も亡くなり悲しい限りです.
実際に私のフォロワー様の中にも,そうした口撃の憂き目にあったのか,一時期twitterを休まれている方がいらっしゃいました
1.誹謗中傷ワード
この誹謗中傷ワードで真っ先に思い浮かんだのが
「〇ね」
という言葉でした.
実際にtwitterで「〇ね」という言葉を検索すると,かなりの数のtweetがヒットします.
その中には少し同情してしまうものもあります.
道路の安全な運用から外れた行為を受けた方,
路上のごみに怒っている方
こういった,一般通念と公序良俗の観点から間違っていることに対しては怒りの感情を持つこと自体は間違っていないと思います.
なにを考えて何を信じるのかは憲法における信教の自由で保証されていますからね,
でもそれを外に出してしまうと思わぬことに巻き込まれるので私も気をつけたいところです.
2.ソリューション
さて,表題の『他人に「〇ね」とか言っちゃう人に対する精神的マウントの取り方』ですが,これは私が高校生の頃に考えたことです.
ちょうど中学3年生から高校1年生くらいってちょうど心が荒んできてやたら攻撃的になる年代ではないでしょうか
そこでやはりいるんですよね,自分が主観的に気に食わないことがあると他人に「〇ね」って言ってしまう人が
確か私は言われてなかったと思いますが(忘れているだけかもしれませんが笑),実際に自分が言われたときにどうしようかよく考えたものです.
この暴言が発生している状況を以下のように設定しましょう.
これはAがBにある暴言を発している状況です.
表題の暴言を想像してください.
このとき,私はAが以下のように考えているのではないかと思います.
Aは,Bが自分の暴言に従うことを想像(期待)してこのようなことをしているんだと思います.
いや待てよと
この仮定に基づくと
Aは思い上がりすぎじゃね?
って思いませんか?
自分が相手に発言すれば,相手は必ず自分の思い通りになるっていう発想は中二病以外の何物でもないと思います.
(何か強い契約で結ばれているなら話は別ですよ.某英霊を召喚して聖杯を争うアニメでは,絶対命令権が行使されて英霊が自〇させられていました)
というわけでAは謎の自信を以ってその暴言を発しているわけなので,それを言われたBは次のような考えでいればいいと思います.
A如きの命令には従わないというマインドセットですね
「Aよ,お前の〇ねという言葉に従おうと思うほど,俺(B)にとってお前(A)は重要な存在じゃない」
って思えばいいと私は思ってました.
3.まとめ
以上から,暴言を吐いてくる相手に、その思い上がりを見出すという観点で精神的マウントを取ることで,暴言を吐かれた側はその安定を保てるのではないかと考えました.
よって,客観的視点から自分が間違っていないという考えの妥当性が確立されるなら,暴言を吐いた相手に精神的マウントをとればいいと思います.
もし,客観的視点から自分に少しでも落ち度があるなら,改めるのも考慮したほうがいいと思います.
この世から炎上なくならないかな
その時間あるなら,俺の勉強と筋トレ時間として分けてほしい笑
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