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[sentence〜das Ding]

2022年1月頭、セクシャルなものをテーマとした某フリーペーパーへの寄稿として手がけた「快感、快楽、快適、官能をめぐる、ラバー居住空間」の文脈で、同年1月末から3月頭までの二ヶ月間に試みたのが、[sentence〜das Ding]という計10点のシリーズ。その試みは、フェティッシュは冷んやりとしていて指先で触れられる〈物〉だというイメージから、そのような〈読み触り〉のあるテキストを作りたいと考え、行われた。

二つの短い段落が並ぶこの形式は、別のテーマのもとで今年も続けていく構想があるので、ここに10点まとめて掲載しておく。


[sentence] 宵の闇

静黙とした闇の前面には、過去の名残を留める三連の電灯が奥へと白く連なり、両脇に幾らかの建物が見える。左手には提灯型の赤いライトが格子状に配置された、新規中華料理屋の味わい深い看板。それら大阪十三の東側で視た人工物のすべてに対し、意識のなかで、宵闇も織り込み、僅かに揺らめかせる。視界を、写真のように切り取り、静物化、フェティッシュ・タウンを味わう。

街の散策による景色の発見から遠く離れて、すでに見えてしまった光景の見え方を変える。日常、至るところに格子はあっても、フェティッシュなモノとの遭遇は皆無に近い。人工物のすべてに対し、艶を与えて白く塗れば、性的な、うっとりを促す物象=フェティッシュに寄せられる。光と闇を留めることで、酩酊した商店街の気配を持つ、独特のフェティッシュ・ナイトを愉しめる。

[sentence] ヴェクサシオン

立ち寄った商店街は、奥で曲がっているために消失点が見えない。両脇を、チャイニーズのカラオケ居酒屋を示す看板が連なっている。数年前、西成の商店街に現れ、幾らかのぼったくり店はあるものの、大方は良心的に賑わっている。看板の光彩だけに視点をやると、ゆるやかな曲線を想像できる。どこまで歩いていっても、同じ光景が瞳のなかで反復されていくようだ。

840回ループするところを想像できる。照明以外の色を落として、延々繰り返される白い商店街。複数の看板が徐々に大きく、近づいてきては視界の外に消えていく。強い電球色は、揺らめくように消えていっては、また現れる。オブジェクトのなかで循環する「時」の経過に滑り込み、冷ややかさに溶け込む。この光景はミニチュアで、瓶のように、そっと手でつかみとれる。

sentence(センテンス:文、文章。刑) sense(センス:感覚)や、sensitive(センシティヴ:敏感な)同様、ラテン語のsentire(感じる、ものの考え方、意見)という語に由来。

[das Ding] オブジェクト

時折出向く三宮のバーはおいしいお酒を入れてくれる。その味や香りと会話やお店の雰囲気を愉しむ。ふと、個人の意識に集中したいとき、例えば目の前にあるグラスを使う。脳のなかの情報処理は忙しないが、グラスという一つの物だけが存在する世界をイメージする。その物だけが確かに在る、実存していることだけの実感に努める。それだけはあやふやではないと感じる。

焦点が存在する世界を想像する。その焦点と定めた物を中心に、あらゆるものがあり、自分も存在する。一個のオブジェクトが世界を律するとき、それとの対比ですべてが在り、あやふやなものは存在しない。一つの物を基準と定めた自分だけが、その世界を評価できる。現れた世界と自分との誤差が、私自身を再構成していく。そこには私にとっての嘘は一つもない。

[das Ding] メタバース

シングルのベッドがあり、枕が重ねられて二つ。その背後と、室内奥のテーブルにライトが二つ。小さな丸いテーブルと椅子のセットの向こうに、少し開けられたカーテン。青森駅徒歩圏内のホテルの一室。触れれば確かに、ベッドでありライトであり、テーブルであり、椅子。「私」が見失われたときのこの実存思考は、メタバースの世界で崩れる。「物」の信用は消える。

「私」が信用されていない時「人」のすべてが信用できず、「私」は「私以外の物」との対比で認識される。そのとき「物」のすべてがフェティッシュとなる。その世界で再認知された「私」が官能を知ったとき、フェティッシュにエロスが加わる。フェティッシュ・アイテムの追求の記憶は、回帰したすべての「物」とメタ接続して、この一室にさえもフェティッシュ空間を視る。

[das Ding] アンフラマンス

青息吐息で挑むと、我を忘れ官能などとクールに実感している経過を手放してしまう。官能の属性は、陶酔よりも覚醒にあって、距離も、手つきも、呼吸も、抑え、「物」を介して見立てられた「物」と「物」とが長いシチュエーションを織り紡ぐとき、微小のエロスがゆっくりと堆積してゆく。朝霧のごときアンフラマンスのエロスに気がつけるほど静謐のなか、官能の真っ只中にあることを知る。

時はメビウスの輪のように幾重にも反転し、永遠に触れる。ある「物」が僅かな粒子の波ほどにしか変化せず、あのときも、そのときも、同じようにそこにあるように、消失点が闇に霞んで見えないくらいに引き延ばされた官能のなかで、些細な感覚のひとつひとつに重力が生じ、皮膚感覚に寄り添うラテックスと、強弱をもたらす拘束が、フェティッシュのプレイ・アートを出現させる。

[das Ding] フェティッシュ・アイテム

その外見には一切の照れがなく、その内実は空白。フォルムは細く、機能を持ち、冷ややかな鉄の僅かなパーツは、物語を誘う。ブラック・ラバーの鈍い質感、心の襞の隅々にまで根を張って現実の隣にある場所へ囚えることが、フィジカルの拘束より期待され、他の誰も真の意味で近づけない。濡れたラバーシートの上に置かれていて、ドミネイションとサブミッションの両者の影が浮かび上がる。

フェティッシュ・アイテムという物体に、その両者は還元される。主役は人ではない。物が手を引く濡れた闇の幻影。象徴に溺れるような複雑な図像もなく、物は機能でしかない。この機能は、記憶すれば、別の簡素なオブジェクトやイメージした虚像にも見立てて扱える。このフェティッシュは誰の目にも見えない。現実には官能が存在しない中、二つの平行線が交わる線が引かれていく。

[das Ding] 感覚的な

何かをしていて、また、別の何かをする前に、少し寝そべっていたのかもしれない。そこはひんやりとしていて、独特の香りがあり、弾力は波のように揺らめく、それは物質で、ふと指先で触れてみる。そのとき何を感じたのか、記憶の遠い彼方にあって、覚醒と眠りの狭間で、水中を泳ぐ蝶のようだった。昼だったかもしれないし、夜だったかもしれない。奥に、確かにエアコンのリモコンがある。

まず、最初に感覚的な波が押し寄せてきて、それがずっと続いていて、最後までそうだった中の、幾らかの事柄は、後にまで残り、そうやって、問いかけはあしたもあさっても続く。自然からの呼び声とも、コンテンツやロジックで覆われたインターネットとも違い、ふいに目が醒める強烈な光景が見えた。それは残像か、幻想か、うっかり、眠っていたのかもしれない。時は、一秒、二秒、流れている。

[das Ding] 零度から

この世界ではデフォルトの景色としてあるパーテーションをα世代が見る、その透明の板の向こうは透過で何も無い。空間を仕切る板状のそれはアクリル製の他、アルミニウム、ガラス、木、布、スチール、ポリカーボネート、など。ホームセンターで売られているすべてのモノは存在しない。自然物を、人が加工し、決定された可能世界とし陳列された光景に立ち寄った。使用用途に感染予防が加わった。

作品の核には、必ず〈豊かさ〉が含まれている。素材は、そういった錬金術のために用意されたが、逆さにされた便器のようなレディメイドに核はない。大戦後に散見されるエクリチュールの零度は、知識、信仰、芸術、道徳、法律、慣行等とエドワード・バーネット・タイラーが文化の定義にしたすべてのデフォルトは存在せず、その向こうが透過であることへの逆説的信頼、フェティシズムである。

[das Ding] フラグメント

原子構造のような断片の集積。ホームセンターに陳列されている素材群。コンテンツとしてまとまっていないすべてのフラグメント。ある程度作られているが、その程度以上には作られていないフィジカルを愛する。フラグメントではないオブジェクトの場合には、多様の意味があり、ロボットからキャラクター、アンドロイドとなり、生物、ヒトに至る。イマジネーションとして、それを遡行する。

フラグメントであるオブジェクトとしての、モノとモノとしての、彼ら/彼女らによって、長く織り紡がれる、ピークアウトしないシチュエーション。二人の息遣いは小宇宙である。黒いテーブル上の氷をフォークでつつくように白い柔肌を指が押す。熱い吐息の漏れない、暗闇の中、熱い鉄片が僅かに伺える性的領域。世界中に散らばる断片群から、それら存在の接触を幻視するイメージトレーニング。

[das Ding] キュー

三次元上のすべてをプール(ビリヤード・テーブル)と見立てる果てなく平面化された情景。硬質の球がそこら中に留まり、それぞれがキューに突かれ、プールを走り、停止する。時に球と球とが激しく衝突し、赤く、白く、青く、灰色に、黒く、虹色に、火花を散らし、同じ球同士が何度もぶつかり合うこともあれば、衝突によって二つが遠く離れていくこともある。数年後、またぶつかることもある。

ダンスフロアで多様な者たちが自由に行動し、真夜中の公園で様々な仮名の者たちが体や物を交換し、銭湯やサウナで暗号的に通信を行い、海岸で、クルージングスポットやネカフェで、妖しい映画館で、路上で、素性なく、繋がりなく、転がっては止まり、転がっては、蒼白い炎を放つ。何もない場所に、少しずつ集まり、少しずつ去っていき、再び何もない場所になる。塵が舞うような現象。

das Ding(ドイツ語、中性名詞) ・目に見えて存在する「もの」・複数形 Dinge で「物品」を表す ・ 物質のほか、「事柄」や「出来事」などを表すことが出来る ・具体的な名前を出さない「あれ」「もの」「やつ」のようなニュアンスを持つ ・口語では、複数形が Dinger になることがある。

das Ding の引用【Ding と Sache の違い

_underline, 2023. 2


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