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登山者の手記 -ある2人の記録-

八月某日

 11人の反応はバラバラだった。歓喜、落胆、苦笑、困惑。当然だろう。11人いれば11通りの感情があって然るべきだし、私たちは皆、強かれ弱かれ、個性を表現することを意識づけられる日々を送っていた。私はさほど気乗りしなかったが、消極的な姿勢を示したとしても、拒否権などある筈が無かった。
 「富士山に登ってもらいます」


8月某日

 「富士山に登ってもらいます」
 新人ちゃんたちに最初のミッションが課せられました。いや、もはや新人ではないかもしれません。加入から半年以上、どんなガトーショコラよりも濃厚な日々を過ごし、成長した彼女たちはもう心配することもない輝かしい存在。5年前のように、みんなで頑張りたいですね。


一日目12:30-吉田ルート五合目

 日本一の霊峰は、古来より人々の信仰を集めてきた。令和を生きる彼女たちにとってもそれは例外ではなく、数日前の空気など何処へやら、吉田ルートに踏み入れたその足取りは、笑顔を振り撒きながらステージを踊り駆ける姿を思い起こさせた。


1日目13:00-富士宮ルート5合目

 私は半分の5人と一緒に、前回とは違う富士宮ルートから山頂を目指します。まだまだ体力面は大丈夫でしょうけど、登山はどうしても空気が重くなりがち。その上少しキツめのルートですから、みんなの心が折れないように、私が盛り上げないと。


一日目15:45-吉田ルート七合目

 周囲は私たちに対し、「みんな変わってる」と言う。確かにそうだ。休憩中にフラフラと化石を探し出す者、全員分の蜜柑の歩荷を試みる者、古い人形を持参する者。どうしてそんな発想が舞い降りるのだろうか。独創的な発想を持つ者が優秀という統一見解が支配する現代社会において、彼女たちはこれからも坂を登っていくのだろうか。平凡な私には羨ましく思えた。山に持っていきたい物など、ゲーム機に決まっている。日本の頂でゲームをしてみたいなんて常人の発想は、彼女たちは持ち合わせていないらしかった。

 「私はね」
山小屋にて私の隣に座って優しい眼差しで皆の話を聞いていたその心優しき少女が取り出した物が何なのか、全員が直ぐに理解した。7ヶ月前、初めて11人で乗り越えた、大切な試練の証。今となってはこの組織全体の先頭に立ち、ともすればその背中が見えなくなりそうなほど遠くの大きな舞台で戦うその少女だが、いつだって私たちの仲間でいてくれた。私は、少女が多くの人の心を動かす理由を知ることが出来た気がした。


1日目16:00-富士宮ルート新7合目

 私たちのようなグループにとって、同期の存在はとても大きなものだと思います。特に、出会ってすぐの時期に全員で何かを乗り越える経験は、大切なものとして心に残り続けるでしょう。休憩に立ち寄った山小屋で、思い出を語り合う少女たちを見て、改めてそんなことを思いました。グループ立ち上げと同時に休業した私にとって、それは少し羨ましく映ったかもしれません。でも、復帰した私を同期のみんなは受け入れてくれ、たくさんのことを共有し、本当の仲間になれました。ここ最近、自分の道に旅立ってゆく同期が増え、私はグループをまとめる役目を受け継ぎました。不安はありますが、やるしかない。
「あなたは、あなたでいればいいと思う」
あの人の掛けてくれた言葉を胸に。


1日目19:45-富士宮ルート8合目

 そうは言っても日本一の山。日が暮れていく中、延々と続く岩場登りと吹き荒れる強風で、体力は限界を迎えていました。私と同じように苦しむ子もいれば、楽しそうに笑う子もいます。私は今、何をすべきなんだろう。とにかくそのときの私にできることは、ただ一生懸命に9合目を目指すことだけでした。


一日目20:45-吉田ルート本八合目

 本八合目胸突江戸屋。標高3400mに建つこの山小屋が、今日の目的地だ。1時間程前に到着した私は、2人の仲間と共に残る3名の姿を待っていた。七合目を発って以降、3人は明らかに足取りが重くなり、隊は分割を余儀なくされた。暴風に絶え間なく襲われながら、景色の変わらぬ山道を登り続けるのは、若い少女たちにとって過酷でしかなかった。初日でのリタイアも十分想定される状況であったが、私には、そうなるとは思えなかった。だからさっき3人を迎えたときも、何処か冷静だったかもしれない。これまで、何があっても最後には11人で乗り越えてきた、そんな自信があった。明日もきっと、上手くいく。あと4時間半もすれば出発だ。今日はここで筆を置こう。

追記
 食事を摂った後、皆の体調が悪化した。異様な光景だ。僅かに涙を浮かべた5人の少女たちが、虚脱感に包まれている。私の中で、先の自信が力なく崩れ落ちた。


1日目20:55-富士宮ルート9合目

 本日の宿泊地、万年雪山荘に到着しました。暴風、低温、不安定な足場。考えられ得る最悪の条件の中、痛む足をかばいながらの登山。いつ心が折れてもおかしくない状況でしたが、なんとか到着。みんなよくがんばったね。安心感からか、思わず涙がこぼれそうになると、みんなが支えてくれました。私がバッチリ支える予定だったのにな。みんな、本当に成長してるんだと、心から思いました。明日はくじけないから、みんなで頂上に行こう。きっと同じように登ってくる、仲間に会おう。


2日目4:30-富士宮ルート9合目

 自然は非情でした。暴風雨のため山頂での御来光は断念することになりました。それでも次第に天気は回復し、9合目から拝む御来光は、私たちを優しく包み込んでくれました。この光の中で、とはいかなかったけど、山頂できっとみんなに会える。絶望感が少しずつ、解けて流れて行きました。


二日目5:00-吉田ルート本八合目

 天候が回復せず、夜明け前の山頂アタックは断念、本八合目から御来光を拝むことになった。ミッションの完全遂行とはならず、客観的に見れば不名誉な結果かもしれない。だが私は、出発できなくてよかったと思った。皆の昨晩の様子から、仮に天候に問題が無くても、6人で登頂するのは間違いなく不可能だっただろう。夜の間休息を摂ることができた事で、皆で朝陽を迎えることができた。もう十分。もう十分だ。

 いや、嘘だな。いくら頭の中に綺麗な言葉を並べても、思わず口に出たこの言葉を止められなかったから。
「頂上から見たら…」
言うべきでないことはわかっていた。皆も思っても、口には出さないでいただろうに。でも悔しかった。私はまだ子供で、何も持っていない。そっと抱きしめるおおらかさも、皆を纏める統率力も、包み込むような優しさも、太陽のような明るさも、そして、先頭に立って戦う強さも。自分を変えたい。私がこの組織を志した理由。絶対に頂に立とう。私ができることを全力でやろう。そう、朝陽に誓った。


2日目5:45-富士宮ルート9合目

 「あなたはここをゴールにするのがベスト。ごめんね。理解してくれるかな」
ガイドさんは、私の足の状態や、天候などを加味して、そう告げました。悔しいです。大役を任されて初めての仕事なのに、後輩たちだけで登頂に挑戦させてしまうことは、無念でしかありません。それでも、今の私にできたことは、逞しく羽ばたき始めた後輩たちに想いを託し、送り出すことだけでした。


二日目9:30-富士山頂

 私は心優しき少女と2人で、山頂の鳥居をくぐった。そこに他の4人の姿は無く、少女の細い身体には4人の名前が書かれた襷が掛けられていた。2人で歩んだ道程は、天候が回復し、目標の鳥居がその姿を私たちに示し続けていて、綿密に定められた台本をなぞるだけの仕事のように容易いものだった。それでも前を往く少女の眩しい背中は、精々同期の先頭に立つ事で精一杯の私を苦しめた。日本の頂に立っても、どれほど陽の光が降り注いでも、私の中の薄雲は晴れなかった。割り切った筈なのに、自分は成し遂げた筈なのに。失敗だと思った。何も変わらなかった。
南から仲間たちがやってくる。皆を連れて来られなかった。それを伝えなければならない。

「他のみんなは?」
1人が訊ねた。少女は襷に手を置き、迷いなく答えた。
「ここにいる」
私は、その少女が多くの人の心を動かす理由を知った。

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