見出し画像

好きだとか、愛だとか

Twitterってすごいなと思う。一度気に入った文章をRTすると、そんな感じの文章を、そんな感じのアカウントを、それとなくおすすめに出してくれる。その機能のおかげで、わたしのアカウントのおすすめ欄は恋だとか愛だとか、好きだとか嫌いだとかって文章で埋まっている。今まで他人に興味を示すことがなかったアカウントだったから、マーケティングの撒き餌を放り投げたみたいで、Twitterの鳥が可愛く見えた。ここまであからさまに埋められるとね。

短い文章で自分の思うことをインターネットの海原に撒くアカウントはたくさんあるわけだけれど、恋だの愛だのが絡むとやっぱり女の子はときめいてしまうし共感してしまうんだよな。いや女の子に限らずだとは思うが。女の子と恋愛をすると彼氏側の役割を受け持つことが多かったけど、心はちゃんと女の子なんだよな…と変に感心した。何に感心してんだ、という話。

雨が降る。思考が雨音に引きずられて外に向く。部屋で聞く雨音はずっと好きなんだよな。というか、好きなものも趣味も何もかも女の子っぽいねと言われることが多かったので、ただ親の言葉が頭の中で反芻されてるだけなんだよ。女の子っぽくいなきゃという刷り込みで自分で決めた趣味なのか、とか考えあぐねてしまう。前にも書いたが、脳は疑わしいったらありゃしないので。MZMのコーサカさんが思考をしない人間を「ゾンビ」と揶揄していたけれど、自分もそうなってしまっていそうで怖いなと思う。

話が逸れに逸れまくったので100文字ほど消した。推しの話は聞いてほしくて残した。コーサカさんの思考回路が好きなので。話を戻す。

なにをインターネットの大海原に投げ込みたかったかというと、恋している自分の心情、好きでいることの尊さ、孤独でいることの寂しさ、全ての感情が一つ一つ愛おしいもので、その時の傷も温かさも全部後ろを振り返った時に背中を押してくれるよと叫びたくなったのです。女心は秋の空なんて言うので、数週間後には変化しているかもしれませんが。辛い想いしてる人間全員抱きしめたい時期が定期的に来る。だめだ、話が逸れていく。今日はここまでなのかもしれん。

わたし自身、分かりきっているわけじゃないし、全人類正確に感情を知覚し、言語化することなんて出来ないと思うからこそ、恋に恋したその瞬間も、全部まるっと正解なんだと思うんだ、わたしは。だんだんと打算的になっていくと、綺麗になるためにターゲットを決めるみたいに好きな人を作り出したりするので、今のうちに恋を楽しんでほしいなと思う。若輩者が何をと思われそうだけれど。でも、その人に会えたその瞬間のために綺麗になろうとするこの感情は恋では無いのかと言われたら、恋だと思うので、あながちわたしも打算的では無いのかもしれない。そうだといいな。経験値はバイアスになりうるけど、レベルアップするためには経験値が必要なので、「恋」たくさんしてほしい。暴走するとナイフになり得る「好き」って気持ちは慎重に扱ってほしいが。

なんか上からの記事になった気がする。わたしもまだまだ経験値の足りない最初の村で燻ってるような人間なので、もっとスライム倒してレベリングしていきたいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?