雑想2

僕は自由が嫌いだ。怖いと言ってもいい。最近何かと自由が取り沙汰されているのを遠巻きに眺めながら、自分の自由に対する恐怖心について考えている。

最初に引っかかったのはいつだったか、ピアノのレッスン中のことだ。当時何らかの試験対策の練習をしていたように思う。そのレッスンの中で即興演奏をやってみなさいということになったのだ。もちろんゼロから演奏しなさいというわけではなく、簡単な曲が渡されて初見で弾きながら即興をつけろ、というのが課題だった。初見で、即興で弾いて。それ以上の指示もなかったので、僕は最初から楽譜を無視して右手と左手をずらして弾き始めたのだ。今なら「即興で」が「適度に装飾をつけて」という意味だったであろうことがわかるが、何も説明がないので思うままに楽譜を破壊したのだ。当然先生にはちゃんと弾けと叱られ、ぎこちない初見演奏をやってその場は終わった。なんてことはない練習のいちシーンではあったが、「即興って自由にやっていいんじゃないんかい!」と引っかかったことを何故か今も覚えている。

自由とは、なんでもやっていいわけではないらしい。

自由に対する恐怖心に最も貢献しているのは高校生だった3年間だろう。僕の母校は「自由な校風」とやらが売りの進学校だった。何が自由だったのかは今となっては忘れてしまったが、わかりやすいところだと制服がなかった。高校ではとにかく勉強せずに遊んでいたし、順調に落ちこぼれた。成績も赤い字が多かった気がするが、何故か卒業はできた。思えば当時は自由の幻想に囚われていた。一丁前に「なんで勉強なんかしなければならないんだ」と、勉強ができない人間の常套句を唱えていたし、所属していた写真同好会の機材という名目で持ち込んだカメラで遊んでいた。それもこれも自由を許されていたことによる3年という長い気の迷いだと、今なら断言できる。

自由とは、自分が責任をとることらしい。

これ以上言葉が続かなくなったので、とりあえず今日のところはここまで。