そもそも大人ってなんぞや

わたしは先月32歳になったところだけれど、自分が全然「大人」な感じがしない。いつまで経っても子供っぽいというか、なんというか。こんな32歳になるなんて思っていなかった、もっと大人だと思っていたけれど、同じ事をたぶん5年前も10年前も言っていたし、10年後も20年後も生きていれば言っていそうである。


今日スーパーで駐車やレジの支払いでまごつくお年寄りを見ながら、歳をとると子供に戻っていくっていうしねえ、という会話をした。その時ふと思ったのだけれど、じゃあその折り返し地点、「大人」のピークっていったいいつなんだろうか。何歳になったら、わたしも大人になったと思うんだろうか。そもそもどういう状況になったらそう思えるんだろうか。

なんて、32歳の言うセリフじゃないよな。ほんとしっかりしてほしい。


日付が変わって、今日は今もわたしにとって少しだけ特別で少しだけ痛い。何年前に特別になったのかさえ、今すぐにはもう思い出せないくせに。申し訳なくて、恥ずかしくて思い出したくないから、ほぼほぼ忘れてしまったんだよあの時に。

そのくせ、なかった事にしてあげたいけど、なかった事にしたいとはやっぱり今も思えないのかもしれない。共通の友人(がまだいてくれる事に驚いて感謝しかないけれど)から話を聞く限り、なかった事にして生きていられているみたいで安心する。そのまま二度とわたしの事なんか考えないでほしい。わたしがこんな風に思う相手ってこの人だけだな。

一緒に暮らすまでしたくせに、なんて呼ばれていたかもいまいちしっくり来ないだなんて、今思えば全てが嘘くさくてままごとじみていたな。始まりだってたぶん都合が良かっただけだった、刷り込みでしかなかった、お互いに。やっぱり当時のわたしは一番頭おかしかった。


大阪駅前の横断歩道を渡った時の事。仙台に向かう夜行バス、別れ際に泣いて泣いて仕方なかった事、仙台の街。渡した手紙ともらった手紙。歩いて帰った立教通り。よく寄った家系のラーメン屋さん。ライブで一緒に聴いた曲、ライブ中の楽しそうな姿。30センチ見上げた首の角度。

そんな事くらいは、ぎりぎり覚えている事を思い出すくらいは、許されるだろうか。もう誰にも言ったりしないから。ここで書き出すだけにしておくから。確かにあった事なんだよな、本当に。残念だけどね。思い出したくない事、までほじくり返しだす前にやめよう。いや、思い出したくないなんて言うのもわがままで、こんな美化したところだけすくったわたしの言葉で、勝手に過去に浸る事もしたくない。だからこれ以上書かない、思い出さない代わりに過去に浸っているわけでもない。ただどうしても本当にあったんだって事だけ書きたかった、しんどいけど。なかった事、にできないんだ、やっぱり。


共通の友人に、今のわたしなら逢わせても大丈夫と思えると言ってもらえたから、何年か前よりは少しは「大人」になれているのかな。そう思いたい。という事はわたしは大人になりたいのか。そうか。大人ってなんだかそもそもよく解らないままなのにな。まあそれはまた機会があれば考える事にする。おやすみなさい。




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