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国って都合がいい‥生産緑地から見る日本

とあるきっかけで、生産緑地について少し学んだ。生産緑地とは、東京などの首都圏にある農地や緑地を守ろうというもの。これまであまり馴染みがなかった生産緑地だが、これが生まれた背景を知るにつれてこの仕組みに強い違和感を覚えたので、なぜか考えてみる。

生産緑地とは「守るべき首都圏の畑」

生産緑地とは簡単にいうと「首都圏の土地を農地活用したら、税金がとても安くなりますよー」という制度。具体的には土地開発と比べると固定資産税150から300分の1程度になるらしい。(税金は市区町村によって異なる)ただし、向こう30年間はその土地で農業をやってね、という縛りつき。

現行版の生産緑地が誕生したのは1990年代。土地の価値が高い首都圏では畑がどんどん開発されてしまうから、国として守ろうということになったらしい(詳しいことはこちらの本などを参照)

ちなみに地方の畑も同じく税金は安い。というか、担い手不足だから税金はタダ同然らしい。まぁ、そりゃそうだよね。

なんだか素晴らしい仕組みの生産緑地。でも、どうにも違和感があるのでもっと考えてみた。

畑を守ろう、というモチベーションで生まれたわけじゃない


一番驚きは生産緑地が誕生した背景が「人口減少でこれ以上土地開発は進まないから」ということ。国をあげて「畑を守ろう」というわけではなかったらしい。

この背景を歴史から紐解いてみる。

1960年代の日本では都市部の人口集中によって、都市部の土地がどんどん開発されていった。畑は「開発されるべき土地」となり、「宅地にしないと農地の税金を宅地と同様にする」という法律まで生まれたのだ。

このせいで農地を宅地に転換する農家さんは急増した。一方で農業で生計を立てている農家さんもたくさんいたし、一度開発された土地は二度と同じ状態には戻せない。(土や微生物は繊細だから)

そのため政府に農家さんがNOを突きつけ、制度改正の戦いがはじまった。

この戦いは1992年、現在につながる生産緑地が生まれるまで30年以上続いた。長い。しかも、この生産緑地は農家さんの主張が反映されて出来たわけではないらしい。では何が理由だったのか?

それは1970年代以降、人口減少が続くなかで「これ以上、土地開発は進まないな〜」と気づいた行政が「緑地って地盤保持したり、防災につながったりして大事だから守ろう」と方向転換した結果だったのだ。これ、国の都合として捉えてしまうのは私だけかな……

 生産緑地は根本的な課題にアプローチできてるのか?

この生産緑地の流れを踏まえて生まれた問いはもしも都市部の土地開発が再興したら、生産緑地はどうなるんだろう。そして、生産緑地より宅地開発がお金になるならそれを選択する人が多くなるのでは?ということ。つまり農地保全への打ち手が根手的でないことに違和感を覚えた。

では、根本的な施策は何だろう?

それは農産物の価値をあげ、儲かる農業の仕組みを作り出すことだと思う。

農業には多くの人的リソースがかかってるけど、それに見合う対価で販売されてない。だから農産物販売以外の収入源(宅地販売とか)や、政府からの補助が生命線になってくる。この仕組みだと、生き抜くために宅地開発を選択することは不思議じゃない。

同じことが他の課題でも起こっている

「もうこれ以上、土地開発できないから生産緑地として守ろう」という行政都合の方針転換は他のことでも起こってるし、多分これからも起こりうる。

たとえば移民受け入れ問題。これまで日本は治安や日本人の雇用を不安視して外国人労働者の受け入れに消極的で、技能実習生みたいな短期的労働を好む傾向があった。

だけど超高齢化社会ではそんなこと言ってられないと多くの人は気づいたが、すでに日本を魅力的な移住先と考える外国人はどんどん減っている。賃金が安いから。

つまり、課題に対する視点があまりに狭いんだけど、きっと「これまでの前提がこれからも続く」という都合のいい思い込みから視野が狭くなってるんだろうな、私も含めて。

土地は誰のものか?

最後に。生産緑地に関して感じたもう1つの違和感、それは土地は誰のものかということ。

緑を守れば税金が安くなるとか、住宅としてはいくらで販売できる、などは人間中心的だなと。土地はみんなもの(=国有)みたいな思想でもないんだけど、「土地と人間」という二項対立の構図が違うと私は感じた。

では土地と人間はどんな関係性であるべきか‥‥まだ答えはないけれど、1つヒントになりそうなのが先住民の価値観かもしれない。






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