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としまえんでの思い出|社長へ質問してみた。

こんにちは。
しずおかです。

2020/8/31をもって閉園となった”としまえん”。

連日ニュースを賑わせていましたね。

開園したのは大正15年!
94年もみんなに愛され続けていたなんてすごいですね。

実は弊社社長が東京へ出てきて初めてアルバイトをした
のがとしまえん。

せっかくの機会なので社長に質問してみました!

Q.「としまえん」でいつアルバイトをしていましたか?

A.1982年2月に奄美大島から大学受験の為、“あこがれの”東京に初上陸
大学受験にことごとく失敗し、早稲田にある下宿で浪人生活を送ることになる。
ただし、見るもの、聞くもの、触れるものすべてが新しく、大きく、キラキラしている大東京にいて勉強など手に着くはずもなく、下宿仲間とゴールデンウィークの短期バイトを「アルバイトニュース(紙媒体)」で探していたところ、「としまえん」でのバイトが見つかる。
「としまえん」 には上京間もない奄美の田舎者野郎同士で度々来園。
なにせ、奄美にはこんな巨大でバリエーションのある遊園地などあるはずもなく。

Q.業務内容をおしえてください!

カレーライス用ご飯(10升 炊き)の洗い~炊飯
ラーメン・焼きそば・ポテトフライ調理スタッフのアシスタント(具材の補充)
※ゴールデンウィークはものすごい人で休憩はほとんど無し。

Q.社長にとってとしまえんのラーメンとは?

休憩はほとんどとれなかったものの、昼食のまかないとして(好きなものを食べていい制度)、ラーメンのみを食べる。メチャクチャ美味しかった。
立川志らく師匠がテレビで「としまえん」のラーメンがシンプルで一番うまいと言ってました。

Q.思い出のエピソードを教えてください

バイトを入れていたGW期間中に、奄美のマブダチで新潟・直江津にある国立大学に行っていた男が、東京の大学に進学した可愛い女の子に募る思いを伝えるべく東京に出て行くので、会って相談に乗って欲しいとの連絡があり。
当時はケータイもないので私に確実に会える方法として、「としまえんに来たら確実に会える」と伝えると、その日のバイトが終わる1時間前にその男がバイト先に訪ねて来た。
「マジカぁ!」と思いつつ、どうやって入って来たと聞いたところ、「1000円の入園券を買って入って来た」と。
当時18歳の我々にとって1000円は破格の金額である。
そこまでして相談に来た以上、男の望みを叶えるべくしっかりとキューピッドの役目を果たすべきだと固く心に誓い、彼女と連絡を取り、後方支援の褒め殺しをたっぷりとして、翌日に渋谷で二人が会う段取りを行う。
そんな努力にもかかわらず、結果、男はいとも簡単にあっさりとフラれ、心に傷をおったまま新潟の地に戻っていったのでした。
としまえんにまつわる哀しい男のエピソードでした。
今では、この男女とも奄美で暮らしており、たまに会う機会もあるそうです。

回答ありがとうございました!

新潟から東京まで会いに行くなんてすごいですね。
結果は残念でしたが、哀しい男のエピソードが聞けました(笑)

さて、そんな、社長思い出の”としまえん”へ
実は閉園前に行ってきたんです!

わたしにとって最初で最後の”としまえん”のレポは次の記事で。

スキほしいな

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