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蒼の彼方のフォーリズム - Fly me to your sky - #36

12

「お疲れ様。本当によくがんばったな」
「いつもの練習より汗かいちゃった。早く着替えたい」
「そうだな。ほら、中に入れよ」
 晶也が部室のドアを開けて入るように促す。
「着替えるから、晶也も部室に来て」
「ん? なんか日本語が変じゃないか?」
「いいから晶也も部室に来て。いいから! ほら!」
 あたしは晶也の腕を引っ張る。
「わかった。わかったから腕を引っ張るなって」
 晶也を部室に入れて、あたしはセミみたいな音をたてるドアを閉める。体だけじゃなくて、心が熱い。まだ熱が残っていて……。自分でも何をするつもりなのかわからないけど……。でも、何かしないと収まりそうもない。
 フライングスーツに手をかける。脱ぐ。裸になりたい。こんなの普通の状態じゃない。だって、晶也に見てもらわないと、納得できない。自分の気持ちの置き場所がわからない。そのくらいしてあげたい、って気持ちもあるし、そのくらいの目に合わないと、納得できないって気持ちもある。
 晶也に感謝したい気持ちが強くて。あたしの裸なんかが感謝の気持ちになるのかわからないけど、晶也にとってあたしは好きな女の子なはずだから、喜んでくれると思う。それだけじゃなくて、嬉しさと、申し訳なさと、いじめたい気持ちと、いじめられたい気持ちと……なんで沸き上がってきたのかわかんないけどそういう気持ちが入り混じって……制御できないよ、こんな感情!
 とにかく、裸になりたいんだってば!
「おっ、おい! ちょ、ちょっと待て!」
「待てない! 頭がわ〜〜ってなってるから、こういうことしないと気がすまないの!」
「だから、待てって!」
「待たない! あたし、脱ぐ! 見たくないの!?」
「見たいに決まってるだろ!」
 晶也が吠えるように言った。それが妙に男らしいというか、欲望に忠実な声だったので急激に脱ぐのが恥ずかしくなってきた。頬が熱い。でも、ここまで言って後戻りなんてできない。あたしは震える手で、肩からフライングスーツを外した。

13

「はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」
 服を着て晶也の横にペタンと座る。
「落ち着いたか?」
「落ち着いた落ち着いた。いや〜。いつも迷惑ばかりかけてごめん」
 もう照れ笑いしか出てこないし、それ以外の反応は思いつかない。
「迷惑だなんて少しも思っていないから謝る必要はないって」
「いつも迷惑ばかりかけてごみん」
「なんでイラつく感じに言い直した?」
「心外だな〜。イラつく感じじゃなくて可愛く言い直したつもりなんだけど。あたし、まだテンション高いかな?」
「高いな。まあ、あれでテンションが上がらない方がおかしいぞ。今日のみさきはこれ以上ないくらいがんばったからな」
「あたしがんばったか〜〜〜。……は〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ。そっか! くぅぅぅっ!」
 バンバンと手のひらで椅子の背もたれを叩く。
「あたしついにできたんだよね。背面飛行を自分のものにしたんだよね」
「ちゃんと見てた。これで、勝つための作戦を立てることができる」
 あたしは椅子の上でお尻をぽんぽん上下させる。
「今からもう1回試してみようかな? 背面飛行の感覚をちゃんと捕まえたつもりではいるんだけど勘違いかもしれない」
「大丈夫だ。みさきはちゃんとコツを掴んだよ。俺が保証する」
「で、でも……。不安だ。一回! 一回飛ぶだけだから!」
「ダメです。コーチとして許可できない。体力の限界だ」
「でも、また飛べる気がするよ。今までの練習の成果で、人知を超えたスタミナを身に付けたかも。あたしってば無限の練習が可能な肉体になったのでは!」
「スタミナはついただろうけど、そう思ってるのは脳内麻薬が出てるからだ。体は疲れ果ててるはずだよ。そんな状態で練習を続けたら怪我する」
「そうなのかな? そんなことないと思うけど……」
「そんなことある。クールダウンはやったけど、寝て起きたら全身がバキバキになってるかもしれないぞ」
「お、恐ろしいにゃ〜。でもね。今、やれば背面飛行の感覚をより強く握れると思う。今のままだったら、試合の最中に掴んだモノを離してしまうかもしれない気がして」
 晶也はちょっと恐い顔をした。
「体調が万全だとしても今のテンションで試合をしたら相手によっては簡単に負けるぞ」
「……っ。ど、どういうこと?」
「興奮状態の人間は視野が狭くなってるんだ」
「それは冷静に考えられなくなってる、という意味?」
「もっと具体的な意味だ。ドッグファイトをやっていて、相手が消えたように見えたり、相手が正面にいるのに伸びてきた手が見えないことってあるだろう?」
「うん。たまにそういうことあるけど……」
「相手が死角に入ったり、気づかないうちにフェイントに引っ掛かっていたり、いろいろな理由があるんだけど、興奮状態になると例え話ではなく、視界が狭まるんだ。俺を真っすぐ見た状態でも、そこの机は見えるよな? 興奮するとそれが見えなくなる。ひどくなると俺の顔しか見えなくなる。そんな状態で攻撃されたらかわせない」
 スゲー納得できる!
「大好き大好きってしてる時は、晶也の顔しか見えなくなるもん。それと同じことか〜」
「それと同じかもしれないけど、そんな恥ずかしいことを言う必要はないだろ! ……だいたい怪我をしたらどうするんだ? 今日の練習は特別許可なんだからな」
 ──この人は本当にあたしのこと心配してくれてるんだな。
「………ごめん」
「不安なのはわかるよ。不安を振り払うには練習するしかないからな。でもな、不安を消すための練習じゃなくて、強くなるための練習じゃないとダメなんだ」
「わかりました。あっ。練習のし過ぎで怪我をすれば大会に出なくていいのか……」
「おい! その発想はリアルで嫌だぞ」
「冗談だってば。とても魅力的ではあるし、真剣に考える夜もあるとは思うけど、冗談にしておく勇気はあるから」
 当たり前だ。可愛い晶也にこんな顔させちゃってるのに、怪我なんかできない。
 ……秋の大会か。あたしは、秋の大会で飛ぶんだよね。夏休みが始まった頃は、こんな自分になるなんて想像もできなかったな。