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蒼の彼方のフォーリズム - Fly me to your sky - #27

「そういう現実離れした話じゃなくてもさ。例えば、大会の会場で石油が噴出して使用不能になるとか、そういうこと起こんないかな? 道を歩いてたらバイクが突進してきて足の骨が折れちゃうとかでもいいんだけどさ」
「ん〜? 怪我をしたいのか?」
「そうだね。……うん、怪我をしたい」
「真顔で言われてもな。怪我をしないように気をつけるって話なら、理解できるけど」
「自分に落ち度がない理由で怪我したい。あたしのせいじゃなく、大会に参加できなかったり、大会が中止になったりしないかって、思う」
「そういうことか……」
「晶也にあたしの気持ちわかる?」
「わかる」
 晶也は食い気味に力強く言った。
「俺もよくそういうこと考えてたからな。海の向こうから巨大な怪獣が現れて、会場を滅茶苦茶にしてくれないかなって考えてた。試合が不安なんだろう?」
「……うん。そうだね、そうなんだと思う」
 だって、自分がどれだけできるのかわかんないし、相手が何をするのかわかんない。
「勝ち負けのある勝負をする人なら、みんな一度は思ったことあるんじゃないかな。よくある気持ちだよ」
「そっか。これはよくある気持ちか……」
 あたしだけの特別な気持ちかと思っていたけど、よくある気持ちなのか、これ。
「逃げたいな。できることなら、FCをやめたい」
「あのな〜。覚悟を決めたんじゃなかったのか?」
「決めたから練習してるし、シトーくん達と試合をシミュレートしてるし!」
「それはよくわかってる」
「なら覚悟を決めたんじゃなかったのか、なんて意地悪なことを言わなくても! あたし、覚悟決めて練習をしてる。もしそうじゃなかったら、こんな気持ちにならない!」
「そうだな……。ごめん、あやまるよ」
「あやまって!」
「もう、ごめんって言っただろう」
「あー、もう! あー、もう! あー、もう! もうもうもうもうもうもうっ! グラシュが故障して、秋の大会に参加できない程度の怪我をしたい! 怪我、カモン!」
「思っても口にするもんじゃないぞ」
「あたし、夜寝る時もずっとずっとFCのこと考えてる!」
「俺も似たようなもんだよ。FCのこと考えてる」
「違う! 晶也が考えてるのはあたしのFCことで、あたしが考えてるのはあたしのFCのことだもん」
「だから同じだろ」
「違う。勝ったり負けたりするのはあたし。晶也じゃない!」
 晶也はセコンドをしてくれるし、部長も白瀬さんも覆面選手も応援してくれる。それは凄く力になる。だけど、勝つのも負けるのもあたしだ。それに……。
「覚悟を決めて、部のみんなから離れて、一生懸命練習して、晶也だけでなく白瀬さんや部長や覆面さんに助けてもらって、それで……。それで……。それで……。もし……」
 肩があたしの意志と関係なく、びくっ、と震えた。
「もし……。負けちゃったらどうすればいいの?」
「誰もそのことで、みさきを責めたりはしないよ」
 晶也は力強く言ったけど、あたしが言っているのはそういうことじゃない。あたしが負けたからって、責める人なんかいないってわかってる。
「ここまで真剣に毎日やってることで、負けてしまったら──あたしって何なの?」
 晶也の頬に緊張が走った。
「ここまで真剣に練習してしまったら負けた時に、言い訳できない。まだ本気じゃないとか、他人にも自分にも絶対に言えない……。心の中で自分に言い聞かせることだってできないよ。それが恐い!」
「……うん」
「負けた時、あたしはちゃんとしてられるかな? あたし、負けたら──どうなるの?」
 寒気がするような話をしているはずなのに、体が芯から熱くなってくる。
「乾さんにも明日香にも負けたくない。勝ちたいんじゃなくて、負けたくない。負けたら自分がどういう気持ちになるのか、想像できない。ただ負けたくない、それだけなの」
「誰もみさきを助けることはできないよ。それに負けた時はそれを受け止めるしかない。それ以外にできることはないよ」
「受け止められない! 真剣にやるってことは、大げさな言い方だけどあたしの全部を使っているってことだよ? それなのに負けたら。……負けたら全部を失いそうで恐い。きっと、死んじゃいそうな気持ちになる。死ぬがよいだよ。あたし、死ぬよ。絶対に死なないけど……。心のどこかは死ぬよ」
「本気で練習しないと、そんなことを思ったりできないだろ? だから、それはいいことなんだ」
「そうかもしれないけど。あはっ、わからなくなってきた。FCを本気で始めなければ、こんな不安を抱かなくてもよかったわけじゃない? だからFCをやめたい。やめるわけないよ? だけどやめたい。これって何なの? この気持ちって何?」
「強烈に負けたくないと思っている。それだけのことだよ」
「そんなに負けたくないって思うことに意味があるの?」
「意味なんか俺もわからないよ」
 晶也はあたしを見つめたままハッキリと言った。納得して安心するような、理不尽なことを言われたような、変な気分。……きっと、こういうのって自分で答えを見つけなきゃいけないことなんだろうな。
「あははは、そうだよね〜。──ごめん。変な質問ばかりして」
「でも、FCをやめると言っていた時より今の方が楽だろ?」
「そうかもね。楽かもね。楽って言うと違う気がするけど、前に進んでる実感があるからそういう意味では楽か……な」
「そうだよ。そうじゃなかったら……。俺がつらい。あのままうじうじしているみさきよりも、あがいてる今のみさきの方がずっと輝いてるからな」
 か、か、か、か、か、輝いてる! そんなことを真顔で言われるとは思ってなかった。さすが、あたしのこと好きだなんて素面で言える男なだけはある。
「輝いている、あたし! すげー」
「からかうなよ。それとさ、初めての感情みたいに言っているけどそうじゃないだろ?」
「こんな感情は初めてだと思うけど?」
「夏の大会で、明日香や乾の試合を見て同じこと思っただろ」
「──ッ」
「その気持ちを認めたくないから逃げ出したんだろ? あの頃と今はどっちがマシだ?」
「……そうだったね。あの頃は本当につらかったからね」
 あの時のあたしに戻るなんて絶対に嫌だ。
「逃げた方が楽なこともあれば、逃げた方がつらいこともある」
 楽なことと、つらいこと……。この気持ちは逃げても逃げてもついて来るのかも。
「みさきがどう思おうが、俺はみさきを逃がさないから覚悟しとけよ」
「ストーカー宣言?」
「だから、からかうなよ」
 晶也の声に力がこもる。視線であたしの心臓を握り締めようとしているような、そういう目をしていた。
「隕石がみさきに向かって落ちてきたら俺が受け止めるし、グラシュが故障してみさきが落下したら俺が下でクッションになるし、爆発が起きたらみさきに覆いかぶさる。逃げても無駄。何があろうと試合会場に連れ出す。だから、逃げるな」
「……逃げません。うん」
 物凄い愛情をぶつけられてしまった。ここまで言われたらとても逃げられない。だからって、逃げたいって気持ちが消えたわけじゃない。
 だけど、晶也と一緒なら大丈夫だと思う。
「ごめん。気持ちをどうしたらいいのかわかんなくなってさ。大丈夫。あははははは〜、いやー、うん。真剣に何かをやったのって初めてだからさ。……恐いね、真剣って」
「真剣にできるみさきがうらやましいよ。今の俺にはしたくてもできないことだからな」
 そうだった。苦しんでるのはあたしだけじゃないんだ。あたしは晶也のためにも──あ、そうか……。あはははは。逃げてる場合じゃないよね。だって、あたしは自分のためだけじゃなく、晶也を助けるために飛ばなきゃいけなんだ。約束したんだ。
「あはっ。真剣に飛ぶあたしを見て、おろかな晶也は苦しむがよい!」
「……善処します」
「う〜〜〜ん」
 あたしは大きく背伸びをした。気持ちが楽になった。だけど、重くなったような部分もあって……。なんだろう? あたし、きっと晶也を裏切ったりできないんだろうな、って思う。それが重くて、でもそういうあたしだってわかったから、楽でもある。
「んじゃ、負けたくない負けたくないって思いながら、覚悟を決めて真剣にやりますんでもうちょっと晶也に痛めつけてもらおうかな」
「痛めつけてはいないぞ。鍛えているだけだ」
「似たようなものじゃない」
「じゃ今日は全速のフィールドフライをやってもらう。さっきのにローヨーヨーとハイヨーヨーを混ぜるぞ」
「つらそうだにゃ〜。まっ、がんばるかー。がんばれ! あたし!」
 あたしは晶也にお菓子の箱を強く投げ返す。
「残りはあげる。さっきの話だけど──。あたしの次は晶也が本気になる番だよ」
 晶也の心にキスしたような気がして、返事を聞くのが恥ずかしい。だから、慌ててフィールドに向かって飛ぶ。
 ドキドキする。
 晶也のことだけじゃなくて、これから飛ぶんだってことに──ドキドキする。