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蒼の彼方のフォーリズム - Fly me to your sky - #47

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スタート位置のファーストブイで、明日香があたしを待っていた。
「やーやー明日香。元気にやってる?」
「はい! 元気にやってます!」
 明日香は嬉しそうに微笑む。
「んじゃ〜。元気にやろうか?」
「ですね。よろしくお願いします!」
「こちらこそ」
 あたしはスタート位置について静止する。真っすぐ前を向く。心臓が早鐘を打ってる。呼吸が乱れそうだったので、口を真一文字に結んで耐える。
 緊張する。
 気を抜いたら、飼い主に強烈に怒られた犬みたいにしっぽを股の間に入れて震えちゃいそうだ。その一方で不審者を見つけた犬みたいに牙を剥き出しにしてるあたしもいる。
 始まればこんな感情は消えて試合に集中できるのに……。
 ちらり、と横を見る。明日香は前を見て身じろぎしない。明日香もあたしみたいな気持ちなのかな? それとも、こういう時間さえ楽しいって思えたりするのかな?
 審判がセットと叫ぶ。あたしは前に向き直る。……まだ? 早くホーンを鳴らして! そうしないと、内臓が口から出てきちゃいそう。まだ?
 もう我慢できない、って思った瞬間、ホーンが鳴る。
 あたしはすぐにセカンドラインへショートカット。明日香はラインに沿ってセカンドブイへと向かう。
「わかってるな? 最初が肝心だぞ」
「うん。わかってる」
 明日香は上のポジションをキープする、基本的にそれだけでトーナメントを勝ち進んできた。明日香と試合をした選手は、上をキープされることの不利さを理解してなかった。
 つまり、上のポジションをキープされたらどうするのかを見せないままここまで勝ってきたのだ。きっと、明日香は何かを隠し持っている。あたしはそれに対応できるのかな?
 明日香がブイにタッチ。0対1。少し遅れて、あたしはセカンドラインに入った。高い位置で旋回しながら、明日香を待ち構える。
 明日香はスピードを緩めて、下からあたしを見上げる。スピードはどんどん落ちて、ほとんど静止した状態になる。
 ──明日香は何を考えてるんだろう?
「みさきも本気だろうけど、明日香も本気だぞ」
「どういうこと?」
「明日香は1点を取った。あの沈黙は自分が主導権を持っている、という意思表示だ。みさきが有利なポジションをキープしたままで攻めてこないなら、こっちはそれでかまわないってことだろ」
「あー、なるほどね。勝負をしたいなら、あたしから来い、ということか……」
 そういうのって明日香らしくない気もするけど、佐藤院さんの指示かな? それとも近距離であたしとバチバチやりたいってこと?
 ……明日香が何を考えているとしても、あたしから近づくしかないってことか。
 思い切って飛び込みたいけど、決意できない。だって、明日香は必ず何かしてくる。
「みさき、明日香が恐いか?」
「恐いに決まってる」
「同じなんだよ。明日香もみさきが恐い。だから動かずに待っているんだ」
 ──明日香があたしを恐がってる? そんなことあるかな?
「みさき、楽しいな」
「い、いきなり何を?」
「こういうの楽しくないか?」
「……た、楽しいに決まってるじゃない!」
 あたしの心にだって、恐いだけじゃなくて楽しいって気持ちはあるのだ。あ、そうか……。それと同じで、明日香だって楽しいだけじゃなくて恐いって気持ちがあるのかも。
「俺はみさきのことが大好きだ」
「はぁ? ちょ、ちょっと試合中に何を言ってるの?」
 リラックスさせようとしてるのかな? それとも決勝戦だから感情が昂っちゃったのかな? まあ、言われて気持ちが楽になったから晶也のテンションに付き合ってあげる。
「あたしも晶也のこと大好き」
「うん。みさきはこの試合を楽しくしたいよな」
「したいに決まってるってば!」
「俺もしたい。いいか? 上からゆっくりと接近してプレッシャーをかけろ」
「それは水面まで明日香を押し込むってこと?」
「そういうことだ。だけど、そうはならないだろうな。必ず上のポジションを取りにくるぞ。試合は始まったばかりだ。時間はある。じっくりとやろう」
「わかった」
 あたしはゆっくりと明日香に接近していく。明日香はあたしを見上げるだけ。
「明日香はどういうつもりだろう?」
「弱気になるな。接近戦は望むところだろ」
「うん!」
 そこを恐れたら、試合できない。
 接近する。明日香の顔がハッキリと見える。
「明日香は素直な女の子だから……わかる」
「何がわかるんだ」
「これから何かをするつもりだってこと」
 何かはわからないけど、明日香はチャレンジするつもりなんだ。
「集中しろ。きっと、始まったら一気に動くぞ」
「うん」
 これ以上、近づいたらドッグファイトが始まってしまう距離。明日香はまだ動かない。
 あたしは深呼吸する。息を半分、吐き出した瞬間だった。明日香が両手で自分の体の側面をなぞっていた。エアキックターンの予備動作に似てるような……。そこまで考えた瞬間だった。
 え?
 視界から明日香が消えた。
「スモーだ!」
 状況は判断できないけど、晶也の叫びに合わせて体が動く。背面飛行!
「きゃっ!」
 あたしのお腹を明日香がタッチする。反動で距離ができる。
 さっきまで下にいたはずの明日香がどうして上にいるの? え? なんで?
 明日香は無理な姿勢で触ったらしく姿勢を大きく乱している。あたしも結構、乱れちゃってるから、互いに姿勢を戻すまでの間ができる。
「な、何が起こったの? 明日香が消えたように見えたんだけと」
「明日香が猛スピードでみさきの横を抜けていったんだ」
「猛スピードって言っても明日香のグラシュはオールラウンダーのだよね? どうしてあんなスピードが出るわけ?」
 あたしのグラシュはファイターに特化したレーヴァテインだけど、その性能を限界まで発揮したとしてもあんな動きは無理だ。
「アンジェリック・ヘイローの応用技だと思う。メンブレンの移動に干渉することで、一瞬だけ猛スピードを出す技」
「そんな便利な技があるならみんな使えばいいのに」
「難しいんだよ。完成したアンジェリック・ヘイローを使えるのは世界でも葵さんだけだからな」
「明日香は各務先生から習ったってこと?」
「多分な。だけど心配するな。本物のアンジェリック・ヘイローはあんなもんじゃない。明日香にはまだ使えない。今くらいのスピードと速さなら対応できる。対応はエアキックターンやコブラとそんなに変わらないよ」
「いや、もうそれだけで相当に大変だと思うんだけどね」
「気落ちする必要はない。明日香が何を隠しているのかわかったんだ。これからが本番。作戦通りだ。始まったら俺の指示はもうないぞ」
「わかってる。あたしを信じて、晶也」
 背面飛行で上のポジションをキープしている明日香に向かう。