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蒼の彼方のフォーリズム - BLUE HORIZON - #8

 だけど、
「ありがとう」
「……え?」
「真白がいるから俺は今頑張れてるんだと思う」
 センパイが口にしたのは因果を無視したような、この場面で出てくるはずがない、突拍子もないお礼で。
「本当に真白のおかげだよ」
「えっ、えと、あの、意味がよく……?」
「聞き返されても繰り返さないし詳しくも言わないからな」
 なんて言われても、本当にわからない。それにもう決めたんだからそんなこと言われても困る。
「でもわたしはみさき先輩が辞めちゃったから……」
「余計に頑張ってくれるだろ?」
「えっ」
「みさきを呼び戻すにはそれしかないと思ってる。強くて楽しそうなFC部にすれば絶対みさきは帰ってくる」
「センパイ、みさき先輩のことあきらめたんじゃなかったんですか……?」
「誰が。ただあいつは一度決めたら人の意見に耳を貸す奴じゃないからな。だけどあの不完全燃焼女は俺のコーチ人生を賭けて灰にしてやる」
 ふと、大会──つまりはお疲れさま会以降に厳しくなった練習メニューが頭に浮かぶ。
 この人は……
 あんな風にがっつりへこんでいながら、すでに自分なりのプランを実践していたらしい。
 ただし、
「どうした」
「センパイ、みさき先輩のこと好きなんですか?」
「あのな……なんでもすぐに色恋に結びつける風潮はどうかと思うぞ」
「わたしはみさき先輩が好きです」
「知ってるよ」
「わたしがみさき先輩を追ってFC部を辞めるって考えはしなかったんですか?」
 ただし、やっぱりそこにわたしとの約束は入っていないみたいだけど。
 だってセンパイが陰でこそこそ頑張っていつになるんだか、実現するのかさえおぼつかないその計画じゃわたしは待っていられない。
「……あっ」
「あっ?」
「いや、考えもしなかったな。マジで」
「どうして髪の毛を掻き毟るみたいになってるんです? 脂汗も出てません?」
「く……」
 指摘した通りの反応を見る限り、本当にわたしがみさき先輩のあとを追うビジョンはなかったみたいだ。窓果先輩でさえ気づいていたのに。それだけ余裕がなかったのか、それともわたしがみさき先輩以上にFC部を気に入っているとでも思ったのか。
「とんだ自惚れ屋さんですね。勘違い大安売り中です」
 ま、FC部もかなりいいとこまではいってるんですけどね。ギリギリ僅差ですけどね。
 それでも軍配をみさき先輩に上げないと思われたのは心外だ。
「いや……だってさ」
 言い訳がましくもごもごするセンパイに、わたしはきつめの視線を向ける。
「なんですか?」
「……約束したから。真白を勝たせるって」
 えっ?
 センパイ、覚えてて……?
 もしかして、あんな約束ひとつを本気にして、わたしが一時的とはいえみさき先輩を捨て置いてまでFCを続けるなんて、あんなリアクションになるくらいずっと信じて──えっえっえーっ?
「……仕方ないですね」
 わたしはわざとらしくため息をついた。そうしないと変な間が生まれそうだった。あと密かに頬っぺたの内側も噛みながら、
「センパイとわたしは今日、今から、みさき先輩をFC部に連れ戻す同志です」
 それがバレないように力強く宣言した。
……妥当なところだと思う。センパイひとりだけだと、みさき先輩を連れ戻すのがいつになるのかわかったものじゃないし。
「もちろん一勝の約束も果たしてもらいますけど」
「それは当然やる」
 センパイらしい根拠のない自信顔。それがなんだか頼もしい。
「壁は高ければ高いほど燃える方ですか」
「みさきの方はともかく、真白が自虐するほど壁は高くないって俺は思ってるよ」
 なんでだか頬の内側を噛む力を強くしなきゃいけなくなった。
「センパイってなんだかんだでコーチとしてわたしたちを信じてくれていますよね」
「真白はコーチをなんだと思っているんだ」
 なんだかうまいこと丸く収まったみたいな感じ。
「わたしはセンパイを信じられてなかった」
 だけど、これからが見えたからこそ謝らなきゃいけない気がした。今日のこと、ううんこれまでのこと。
 だって明日香先輩はちゃんと信じていたのだから。
「ちょっと待て。なんだ今の不穏な発言は」
「わたし、本当はここに来るまですっごく怒ってたんですよ?」
「衝撃の告白だ」
「回答次第ではセンパイをひっぱたいて終わりにしようって」
「一応、理由くらいは聞かせてもらえるのか?」
「今となっては恥ずかしいから嫌です。絶対嫌」
「ひどすぎるな」
 そう、ひどすぎる誤解とか偏見とか八つ当たりだった。
「というわけで……」
 まずはここから。ちゃんと謝罪しようと姿勢を直したところで、
「せっかくいい感じで話がまとまって終わると思ったのに」
「え?」
「はあぁ……やっぱり俺じゃ力不足なのかなー。選手ひとり笑顔にすることもできやしない」
 気配で察したらしいセンパイがわざとらしく阻止にくる。
「い、いえ、そういうつもりはなくて、ただ謝らなきゃいけないことは謝ろうってだけで……センパイ、ズルいですよ! わたしに謝らせないでそうやって話を逸らそうとして」
「あーへこむ。なんか泣きそう」
「もー! この仕打ち、忘れませんからね。覚えててくださいよ」
 そんなわざとらしいセンパイのやさしさを、はじめて素直に嬉しいと受け入れることができた。
 意地を張らないやりとりが、なんだかくすぐったかった。