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自傷行為が辞められない訳

自傷行為の始まり

始めたのは10歳の時です。腕をガリガリ爪で引っ掻き始めました。
理由は「なんとなく自分がここに居ちゃいけない」「自分が居ると周りが不幸になる」「私は疫病神なんだ」と思ったからです。
なぜか自分を傷つけると心が落ち着きました。これで許してもらえる、生きることを許される、そう思いました。何に許されたかったのか、今でも分かりません。

エスカレートする自傷行為

中学に入ってお小遣いが貰えるようになると、僕はカッターを購入しました。リストカットを何で知ったのかは覚えていませんが、それからは爪ではなくカッターで腕を切るようになりました。痛いとは思いませんでした。
血が出る事が楽しくて、傷が美しく見えて、もっともっと、と徐々にエスカレートしていきました。
僕の肌は引きこもりだからか夏場も長袖だからか白くて赤い血がよく似合いました。
親にバレた時、部屋にある刃物を全て処分された時は絶望しました。またカッターを買ってきました。

ODの始まり

ODについてもいつどこで知識を得たかは覚えていません。ただ「薬を沢山飲む」という行為が楽しく思えて、当時は精神的な薬は処方されていなかったので抗アレルギー剤や解熱鎮痛剤を処方される度に溜め込んでは時折ラムネみたく口に含んで飲み込んでいました。僕は薬剤耐性が強いのか次の日ちょっと嘔吐する程度で済んでいました。
高校生になってもっとお小遣いが増えるとODによく使われるが為に販売規制が行われたブロンを買い占めました。同じドラッグストアでは一人一つまでしか購入出来ないので何軒もドラッグストアをハシゴしました。
ブロンの効能はとても強くて40錠ほど飲むと多幸感やふわふわとした感じを味わうことが出来ました。その後の身体に力の入らない感じや閉尿感、目眩は酷かったですがそれでもあの多幸感が忘れられなくて、現実から目を背けられたような気がして、何度も繰り返しました。

いつ終わりが来るのか

パートナーと暮らし始めてODをした時とても怒られました。その時僕はびっくりしました。どうして怒るの?何がいけないの?そう感じました。結論から言うと危ないから、なのですがそれを僕はわかっていませんでした。いつもの事、手馴れた行為、それの何が悪いのか。最初に暮らし始めた時にODをした理由はただただ心配されたかったからでした。心配して貰えないと必要とされていない感じがして相手を試すような行為を何度も繰り返してしまいました。
今思えばこれまでの人間関係も全て相手を試してきていたように思います。突き放してもまだそれでも居てくれる人、僕がどんなに弱くても許してくれる人、僕の情弱さを、抱えた闇を理解して傍に居てくれる人、そんな人を求めていました。
今は毎日大変ですがなんとか生きていて、死にたくもなりますがやっぱり生きていて、それでも辞められないのはリストカットです。
初めはパートナーはリストカットも怒りましたが、僕にとってのストレス発散方法が殆どこれしかない事を説明すると必ず消毒することを条件に許して貰えました。
でもいつ辞められるんでしょうか。僕には分かりません。ふとした時に来る希死念慮、リストカットの衝動。頓服薬で抑えきれないとやはり腕を切ってしまいます。カッターを叩きつけるように、どうしてもっと深く切れないんだ、と苛つきながら。
いつか辞められる日を願っています。僕が自分を大切にできる日を。

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