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性依存症とセックスレスと離婚

私、ノーマルではないのです。
普通にセックスを楽しむことができない。
というより、相手を楽しませてあげることができない。

私は、2次元の世界では、現実界あまり推奨されないようなことを見て、想像して、興奮してしまいます。その内容は過激なものになるのでここではまだ書かずにおきます。

どうしてそうなったのか。よくわかりませんが、本を読んだり心理学を勉強していると、どうやら幼少期の親との関係に関係があるのかもしれません。クリニックにも行っていますが、「簡単にそれがわかるものではない。ゆっくり考えていきましょう」と先生に言われています。

クリニックだけではなく、性依存症の自助グループなどに参加したいとも考えています。(コロナなのでオンライン開催かなー。)

この、おかしな性への依存があるおかげで、本当に申し訳ないのですが、別れた妻とはセックスレスの生活でした。およそ10年間。本当に申し訳ない。そして、このような自分の幼少期受けたこと、トラウマに原因があるとのことを、一度も元妻には話せなかった。だから、もちろん奥さんも混乱していました。別れようという段階になってようやくそのことを彼女も、「死にたくなるくらい迷った」とのことを私に伝えてくれました。「自分に魅力がないからセックスレスだったのではないか」と。本当に申し訳ない。

今回の離婚は、それはそれは私もつらいことで、今も私も夜中に何度もうなされるし、希死念慮もある。なにせ昨日まで仲良くしていた子供を、私の立場から言えば「連れ去られ」奪われたのだから。

このつらさは、妻も、結婚の10年の間に味わったのかもしれない。それは、お返し、リベンジなのかもしれない。恨まれていて、その災いが今度私に降りかかるのかもしれない。それもよしとしよう。


物心ついた時から、私は、自分の性志向が、他の人間と異なることが怖かった。誰とも自分の性志向性は合わないと思った。これは、LGBTのことで、社会とのかかわり方で、社会からの見られ方で苦しんでいる人は私なんかよりも、もっと苦しいんだと思うけど、私は私で、異性愛は異性愛なのだけれど、その志向性が、ノーマルなものではなく、子どものころから苦しんだ。そして、結婚生活にも影響を与え、妻は私から離れていくことになった。結婚前に話すべきだった。そしたら、妻は私から離れていったであろうから。それで仕方がない。

しかし、離婚は、妻が私に与えてくれた大きなチャンスかもしれない。幼少期のトラウマを克服し、性依存から解放され、新たに愛する人を、その人が幸福であるように愛することができるようになったなら、私は「真人間」になれるのかな。普通になることはどういうことかわからないけど、一つの家族を今度は守ることができるかな。愛し続けることができるかな。

壮大なドラマのスタートを元妻が与えてくれたのかもしれない。私も、幼少期から抱えている困難を、根本的に解決ができないとしても、受け入れて、また、他者からも受け入れられて、生きることができるかもしれない。


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