わたしたちはみんな特別な存在。|FUJI ROCK FESTIVAL '23
タイトルの通り、今年のフジロックは、苗場に集ったすべての人がみんなそれぞれ特別な存在であると声高らかに伝えてくれた、そんなフェスだったと思う。今年も無事に参加できたことに感謝しつつ、フジロックへの感謝をしたためます。
先日、今年は最終的に114,000人が参加したという発表があった。コロナ禍も参加していた身としても「フェスが戻ってきた」をめちゃくちゃ肌で感じることができたなあと思う。確かに人の多さに疲労を感じる瞬間もあったけど、わたしの毎年のセーブポイント、約束の地に帰ってきた。そう思えたことはものすごく嬉しかった。
そんな今年のフジ感謝noteは、わたしが個人的に感じた
・どんな選択も尊い
・フジでの心地よさ
・誰もが特別である
と、こんなかんじで振り返ってみようと思います。
どんな選択も尊い
フジロックでの過ごし方に正解はない。ライブはもちろんだけど、会った人と話したり、ごはんを食べたり、川に入って遊ぶなり、宿に戻って休むなり、あの空間にある色々な選択肢を都度選びながらそれぞれがそれぞれのフジロックをすごしている。前日までわくわくしながら何度もシミュレーションしたタイムテーブルも、すれ違う人すれ違う人と喋ってたら全然違うものを見に行ってたり、飲んでて時間が過ぎてしまってたり、現地に立つとほとんど意味をなさなくなるのもそれはそれで良かったりする。
今年は国内外含めて、人気アーティストがこぞって被るタイムテーブルだったと感じたが、だからこそ良くも悪くも、あの日あの場所にいた人が何を選択するのかを客観的にみるのも面白かったなと思う。たとえば3日目なんて、LIZZOを見るか、WEEZERを見るか、ASGEIRを見るか、誰もが頭を悩ませたと思う。わたしは前方でLIZZOを最大限浴びる選択をしたが、赤犬を選択していた友人もいた。自分と同じような選択をする人がどれだけいて、他の選択をする人がどれだけいるのか。同じ時間に同じ音楽を浴びて声を上げる人がいる一方で、別のステージで拳を上げる人も大勢いる。はたまたごはんを食べる人もいるだろう。今年苗場に集ったどのくらいの人がどの音楽を求めていたのか。今年はこうだったけど、来年だったらもしかするとそれぞれが求める音楽も変わっているのかもしれないし、違うバラバラさが生まれたりするのかもしれない。
選択肢が際立つほど肌で感じる。それも自由という名の心地よさだということ。
どんな選択をしても楽しい。それがフジロックだしすべての選択をフジロックは肯定してくれる。まさに「みんなちがって、みんないい」。どんなフジロックもすべて最高なのだ。
全部終わった後で、それぞれが過ごしたフジロックをいろんな視点でシェアするのが楽しい。それはみんなそれぞれがフジロックで最高の過ごし方をしているから。それに尽きる。今年のフジロックは悩んだ末に選んだ選択も多かったからこそ、どの選択もすべて尊いものだなと改めて感じたりした。
フジでの心地よさ
たとえば恋愛においてこの人が好きだと思う時、それはその人自体が好きなことはもちろんだけど、その人と一緒にいる自分が好きということもある面ではあるんじゃないかと思うのです。自分で自分を肯定できる、自分をそんな人間にしてくれる存在って実はすごく特別だし、お互いがお互いにとってその特別な存在になれてお互いを大切に思えたなら、その人とずっと一緒にいたいと思えるし、それが好きのひとつの形だとも思う。
なんとなくフジロックにはそんな心地よさがある。
わたしはフジロックにいるわたしのことが好きだ。
今年のテーマでもあった「超気持ちいい!FUJIROCK」って、わたしにとってこんな感覚かなと思う。毎年フジロックに来るたびに、自分が、好きな自分に変わる気がする。どこを歩いていても音楽に包まれていて、好きなお洋服を着て、体を揺らしたり、大きな声で歌ったり、会った人と喋ったり、お酒を飲んだりのびのびと寝転がったり。あの空間にいる自分が一番好きかもしれない。
そういう気持ちにさせてくれるのは、あの環境だからこそもあるし、あと間違いなく一緒にいる人たちのおかげでもある。毎年フジロックで会う友だちにはどこか特別な感情を覚えるし、大好きな人たちと一緒にいる自分は自分的にも大好きだったりするから、今年も会ってくれたみんなには本当にありがとうございますの気持ちしかない。
今年は特に、今までフジロックで会ってきた友だちはもちろん、この二、三年でいろんなフェスに行くようになってできた友だちだったり、転職を経てできた新しい繋がりだったり、その繋がりからまた繋がったりで、現地でたくさんの出会いがあった。「また!」と握手したみなさんとはきっとまた来年も会いたいし、ふらりと遊んだりももちろんしたい。書いてて、会ったみんなの顔を思い出すと、たくさんの感謝が溢れます。
今年も会えて嬉しかっただいすきな去年の宿メンのみなさま、気づけば大好きな音楽をほとんど一緒に見てたNさんとTさん、DOMICO演奏中モニターにすっぱ抜かれて面白かったMさん、死にそうな暑さにウィダーインゼリーをくれたNさん、ご両親と参加されてる中に混ぜてくれたAさん、LIZZOで一緒に涙を流したNさん、他にもまだまだたくさんいます。会ってくれたすべてのお友だち、本当にありがとう、たくさんの感謝、たくさんのハグを。
例年「またフジロックでね!」といろんな人と約束して1年間を過ごしているけど、こうやって毎年少しずつ約束の数が増えていくことが自分にとっては生きる糧になるので、本当に嬉しい。
誰もが特別である
特に今年、わたしはフジロックにいるわたしが好きだなあと感じたこの気持ちは、きっとアーティストのメッセージから感じ取ったりした部分もたくさんあるんじゃないかと思います。
多くの人がきっと感じたと思う。今年のフジロックはみんながみんな特別だよって伝えてくれていたこと。コロナ禍を経て、いろいろな苦労を超えて、再びフジロックに集ったわたしたちに、多くのアーティストが音楽を通して伝えてくれた。今この場にいる全員がかけがえのない存在であると。
(以下、アーティストの言葉はなんとなくの記憶です)
ルーキーから、ホワイト、レッドを経て、今年グリーンでパフォーマンスをしたGEZAN。自主レーベルで完全インディペンデントな活動をしている彼らが、グリーンに立つことのその道のりの険しさと、そのステージに立った上で発した言葉は、諦めるなよと、信じていこうよと、勇気を与えてくれた。
今年解散を発表したBADHOP。急遽グリーンステージでのパフォーマンスが決まって、そこからわたしたちに想いを伝えるためにきっとめちゃくちゃ向き合ってくれたんだろうというのがすごく感じられる時間だった。この一瞬を刻みつけてやる、その気概がビシビシ伝わってきた。
さらに我らが矢沢永吉も、歳とか環境とか関係ないんだよ、俺たちもっとやってこうぜ!というパワフルなメッセージを残してくれた。
3日目昼のROTH BART BARONもそう。ロットの曲はいつだってわたしたちを肯定してくれる。わたしたちが生きている世界が喜びと色彩に溢れるように、この世界がかろうじて持っている希望を見失わないように、やさしく手を取るように歌ってくれる。
「赤と青 その手を繋いだならどんな色だってつくれるはずなんだよ」と誰しもの個性を尊重し、交わることで生まれる鮮やかな未来を仰ぎ、「君の物語を絶やすな 僕らはまだ何も成し遂げていない」とわたしたちひとりひとりの人生を鼓舞してくれた。
途中、三船さんが「(このステージは最高、それはなぜなら)あなたたちが最高なんだよ」と言った。今年、ロットとヘヴンであげた祝祭は、この数年暗闇にいた気持ちをすくい上げてくれたと思う。あのステージに居合わせた、ひとりひとりの存在を讃えてくれたし、わたしもあのステージを見たひと全員を尊い存在だと感じた。
最後に、わたしがモッシュピットに入って待機してまで最大限に浴びてきたLIZZOは、もはや愛のシャワーだった。登場する前にスクリーンに映し出されたメッセージには「毎日自分で自分のことをちゃんと愛して。そして他の人も同じように愛して。それが自分を救ってくれるから。」(要約)とあり、最後の一曲まで、わたしたちを強く熱く抱きしめてくれていた。
最初のCuz I Love Youから心を鷲掴みにされて、中盤のSpecialで離されたくないほど抱きしめられて、最後はAbout Damn Time。About Damn Timeは、「過去の何も言えなかった自分より、今のちょっとワルな自分が好きなの」みたいな曲で、塞ぎ込んでいたこの数年を振り返りながら、まさに今の気分を表現してくれている気がして本当に本当に気持ちが高揚した。LIZZOをヘッドライナーに選んだSMASHさんにも、初来日を決断してくれたLIZZOとそのチームのみなさまにも、本当に感謝の気持ちでいっぱい。途中に挟んだ突然のファンとのサイン会も愛に包まれたピースフルな空間だった。
その後色々言われていたことはあったけれど、わたしはこのステージをきっと忘れないし、最終日の大トリ、彼女のキュートで力強いパフォーマンスとファンとの愛あるコミュニケーションに涙したことは全く自然だった。
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自分の信じていること、自分のやっていることを疑わずに、自分自身を諦めずにやっていこうよ。がんばっていれば舞台はきっとやってくる。誰だって生きるのは大変だし、いろんな過去を持っている。けど絶対にできないことなんてないよ。今までがんばってきた、今もがんばっているあなたはとても尊いし、あなたも、隣にいる人も、少なからずここにいる人みんな、間違いなく特別な存在だよ。
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フジロックを終えて2週間が経ったけど、今も残り続ける余韻の芯にはこんなニュアンスが自分の中にある。もちろん都合の良いように解釈してるところもあるし、アーティストそれぞれがそれぞれのメッセージを伝えていたのが偶然みたいなところもあると思う。けどわたしにとっての今年のフジロックはこのままだった。わたしのフジロックの思い出は、わたしの感じたままに残したい。
たくさんのアーティストの言葉が、音楽が、パフォーマンスが、あの日あの場所に集ったわたしたちひとりひとりの存在を肯定し、抱きしめてくれた。一緒に拳を突き上げて、奮い立たせてくれた。あなたも、みんなも、特別だと。どうにか表現しようと言葉を広げても広げても溢れてしまうくらい、最高なメッセージを受け取った気がする。
最後に
2016年にフジロックデビューをしてまだまだ若層フジロッカーだけれども、毎年、ここに来ること自体に特別な意味を感じる。ここで出会う人、出会う音楽、出会う言葉、出会う感情。毎年現地にいても同じと感じられない、いつだって新鮮で、いつだって特別。わたしも毎年変わっていくし、フジロックも毎年変わっていく。いつものような日常の延長線にあり、それでいて発見も刺激も感動もある。それがフジロックの特別感だと思う。
わたしにとって特別なフジロックが、わたしたちのことも特別だと抱きしめてくれた。わたしは大好きな音楽をさらに愛せてやまなかったし、一緒にいた大好きな人たちのことも心から抱きしめていた。
ここまでフジロックをカムバックさせたこと、本当にとんでもなく大変だったと思います。昔を思えば完全とは言えないかもしれないけど、今らしい形を纏いながら、ありたい姿になっていっている最中だと思いつつ、SMASHのみなさんや協賛・地元の方、ボランティアの方々には深々と感謝したいし、アーティストのみなさんにはちぎれるほどの拍手をしたいし、飲食店の方々にもおつかれさまでしたと言いたいし、この特別なフジロックを作ったのは、特別なみなさんがいたからということを強く強く思いたい。
本当に本当に特別で、本当に本当に楽しかった。
大好きなフジロック、大好きな音楽、大好きなお友だちのみなさん、本当にありがとうございました。
フジロックと音楽と、すべてのお友だちに愛を込めて。
おしまい。
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あと備忘録として
かゆいところに手が届く、というか、フェスあるあるを汲み取ったナイスな協賛がめちゃくちゃ良かったなと思ったのでこれも残しておきたい。色々と協賛企業がブースを並べる中、Amazon MusicとFamilyMartのブースは参加者にとってすごくハッピーだし納得感もあるものだったなと思う。フジロッカーズニーズをグッと鷲掴みにしてくれる取り組みにはハートをぶち抜かれてしまった。
Amazon Musicは、プレイリストにちなんだキャンペーンや体験に加え、Amazonロッカー・Amazonカウンターを設置するナイスな試みをしていた。「あ!あれ忘れた・・」となるのはフェスでよくあること。(わたしも今回サングラスを忘れてしまった)そんな時にアマゾンでFUJIROCKの住所を指定して注文すると次の日にはロッカーにアイテムが届くというサービス。FUJIROCKは特に周りにコンビニやスーパーもないので、これはめちゃくちゃかゆいところに手が届くフジロッカー想いのブースだなと思った。「不便さを楽しめ」という日高さんの言葉とは真裏になるけど、いざという時には嬉しい。
FamilyMartは、タオルや靴下、撥水パーカーといったフェスで役立つアイテムをコンビニエンスウェアのラインナップに加え、会場でもポップアップストアを展開。このアイテムたち、デザインもめちゃくちゃかわいいし、今年は降らなかったけど雨が降ったり汚れたりした時に靴下って本当に重宝するので、それがサクッと手に入るというのはすごく気持ちを掴んでいていいなあとおもった。そしてコンビニエンスウェアの靴下の袋はスマホの防水ケースにもピッタリサイズだというのは知る人ぞ知るTips✌️