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マインドフル・ボディ・プロジェクト VOl.8:僕が抱える劣等感

政近が代表を務めるMFJにおいて、僕はオフィサーを拝命し、またボディを担当しています。上辺ではなくファッションを掘り下げて行く時、マインド、そしてボディという切り口はとても重要です。

さて、ボディを担当する僕ですが、実は自分自身のボディに対して、子供の頃から劣等感を抱えて生きてきました。今でも、その劣等感が僕の中に影を落としています。

その影は、時に恐怖になり、時に不安となって、僕を縛り付けようとします。このネガティブな存在から逃げる術はないと、僕はなぜかずっと知っていたので(実際その通りになっていて)、この影に取り込まれない様に生きてきました。

今日はそのことについて書いてみようと思います。

            ⭐️ 

🍀 日向にいた幼少期

幼稚園から小学生(地元の公立)の頃までの僕は、自分の身体を他人と比較することもなく、自転車を乗り回したり、ザリガニやクワガタを捕まえたり、海やプールで泳いだり、のびのびと育っていた。他の子ができることは同じ様にできたし、他の子ができないこともできた。小学3年くらいの冬、初めてスキー教室に入れてもらい、最終日に小さな大会をやって、経験者もいたのに、そこでいきなり優勝してトロフィとスキー板をもらっても、なんか当然な気がしたし。でも、優勝とかはどうでも良くて、楽しいかどうかが全ての基準になっていた、と思う。

こんな感じで。劣等感とは無縁でした。


🍀 中学以降は劣等感と共に


でも、中学(やはり地元の公立)に入ると、徐々に何かが変わっていった。

他の小学校から来た子たちは大人っぽい雰囲気で、身体がやけに大きい子がいたりして、自分の身体への劣等感が芽生えた。

風邪か何かで近所の医者に行って、自分のレントゲン写真を見た時、背骨が曲がっていることに気づいたのもその頃。自分ではレントゲンを見た瞬間に湾曲(当時はそんな言葉は知らなかったけれど)に気づいたのに、医者や母親が何も言わないのが不思議で仕方なかった。なので、自分から「僕の背骨、曲がってる」って言ってみた。

医者と母はびっくりして、確かに曲がってるってなって、僕は「だろ」って感じで(笑)曲がってること自体は気にならなかったけれど、直立すると右肩が下がってくるのとかは、とっても嫌だった。あと、首がいつも固まってる感じがしてるのも不快ではあった。

中学以降、僕が感じた主な劣等感を並べてみると、こんな感じ。

  身体の線が細い
なで肩、
左右アンバランス(脊柱側湾症)
寝不足に弱い
風邪をひきやすい
筋肉がつき難い、
朝起きられない
運動能力も普通
お酒が弱い(大学以降ね)、
父親の髪型がさくら友蔵さんみたい(遺伝が怖い・・)

自分の身体をなんとか強くしたかった。

そして、運動を楽しい遊びとしてだけでなく、身体を鍛えることとして意識し始めた。5歳から始めた水泳だけは同級生だけでなく、上級生にも負けなかったので、そこが心の拠り所になってくれたとも思う。

そしてちょうどその頃、「ロッキー」や「燃えよドラゴン」、というアクション映画に触れたことも大きかった。特にブルース・リーはアジア人で、筋肉隆々ではないけれど、そのボディはカッコよかったので、そこを目指したいなと思い、自作のヌンチャクを振り回したり。


中学生の時。この頃、既に心には影が差していた。


🍀 劣等感を超えて


こんな劣等感を抱えてきたけれど、不思議なことに、一度も入院したことも、手術を受けたこともない。

それは、遺伝という身体の設計図に弱点があるならば、材料である食事と、メインテナンスは自分で相当程度コントロールできそうなので、やれることをやろうという意識をずっと失わなかったからかなと思う。

子供心にも、努力したからって身体がずっと強くなるとは限らないことも直感的に理解していたし、どんなに気をつけても病気や怪我に見舞われることもあるだろうなって思っていた。

ただ、やれることをやって、それでも身体を壊すことがあるとしたら、それはもう仕方ないし、やれることをやってなかったら、もっと早く身体を壊すことになると思った。なので、身体や健康への取り組みは、結果が保証されていないけれど、継続することになんの躊躇もなかった。

ただひとつ大いに悩んだのがお酒だった。高校の追い出しコンパで、自分が下戸だということに気づいた。大学生になって部活で飲まされるのが苦痛で、その度に潰れることを心配していた。大学1年の時、これでは先行き大変なのでお酒に強くなろうと決心し、毎日、舐めるようにお酒を飲んで、ほんのちょっとずつ量を増やしていくことに取り組んだ。しかし、何ヶ月かやっても思うような効果が出ないし、体調は思わしくないし・・・。

で、僕はハラを決めた。極力無理しない。飲まないで済むときは飲まないと。最近の色々な研究を見ると、無理して飲まなかったことは、身体にとって正解だったと思う。ただ、お酒が強かったら、楽しいこともあっただろうなとも思うけれど。

🍀 不調を超える時(実際の取り組み例)

40代〜50代にかけて、心身ともに不調が続いていた。その頃は、海外で単身赴任していたので、生活環境や生活スタイルを自分の自由にできたから、世の中の全ての物事を、

❶その不調の改善させるもの
❷その不調を悪化させるもの

に2分し、❶を増やし、❷を可能な限り排除することを目指した。その結果、当時の不調は1年くらいで乗り越えることができたんだけれど、かなり徹底していたと思う。

で、❷の具体例はと言うと、睡眠不足、運動不足、過度の運動、タンパク質不足、赤身肉の食べ過ぎ、野菜と果物の不足、砂糖、お酒、血を汚す食べ物(漢方的意味:チョコレートや山菜など)、冷たい飲み物、熱すぎる飲み物、浅い呼吸、寝心地の悪い寝具やパジャマ、心穏やかでいないこと・・・。

リストはまだまだ続くけれど、こういった要素を生活から可能な限り排除した結果、体調はとても良くなった。このアプローチは今でも継続していて、体調、体力、運動能力などは、同年代の人達より良い状態にあるかなって思える。


🍀 今の僕

13歳くらいでボディへの劣等感を持ち始め、それをポジティブなアクションに転化することを50年近く継続してきた。それが、ここ数年で漸く、ちょっとずつ自信に繋がってきている、かもしれない

それでも、マインドの奥底には劣等感が影を落としている。だから、僕はそこから目を逸らすことなく、劣等感をポジティブなアクションに転化していくプロセスを一生続けるんだろうなぁって思う。

発想の源は、どう見せたいかではなく、どうありたいか。

これはMFJの教えの根幹でもある。僕がなぜ、MFJに惹きつけられて、更にはオフィサーに任命戴いたのかは、この50年の取り組みがあったからだと思う。全てが偶然の様で、実は必然であったと思う。

※※※

【追記です】
 自分の書いたものを読み返してみると、僕の持っている劣等感やその原因となるものなんて、取るに足りないものなのかもしれません。でも、劣等感そのものを他人と比べることはできないし、比べられたとしても意味はないのでしょうね。こういう内面の問題は、自分の中で整理して、生きていく中で折り合いをつけていくしかないんだろうと思います。答えは自分の中にしかない、そんな気がしています。


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