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マインドとファッションの学校(Mind Fashion Japan: MFJ)はスピではない。

控えめにみても世の中では、マインドとかマインドフルという言葉を聞くと、精神世界や霊的世界を連想する方が少なくない。もう少し踏み込んで言えば、「マインド」と「スピリチュアル」とを、同義語とまでは言わないけれど、同じ様な意味の言葉として用いる方は珍しくないようだ。確かに、両者ともに見えない世界の事象を扱うし、人間の心理面を扱うという視点からは、親和性が高いんだと思う。

実際、僕がオフィサーとして関与させて戴いているマインドとファッションの学校(Mind Fashion Japan:MFJ)の数十人の現役生を見ると、スピリチュアル好きが方が多いなぁと思うし、マインドとスピリチュアルの線引きをしていない人がいるかなとも感じる。

ここで誤解がない様に補足すると、僕自身はスピリチュアルを否定しない。それどころか、陰陽師やしゃばけといった物語を楽しみ、死後の世界もあるだろうなぁと感じている。そして、神と呼ぶかどうかは別として、自分より遥かに大きな力というか何かの存在があることを信じている。

しかし、この2つは全くの別次元のものである。MFJは「スピ」ではない。どこまでも「マインド」なのである。

スピリチュアル的なアプローチに立つと、判断の拠り所は、星の動きであったり、タロットカードであったり、誰か特殊な能力を持つと信じる人や、お告げ的なものであったりする。つまり、自分以外の事象に身を委ねることが多い。これに対し、マインドフルなアプローチでは、判断の拠り所はあくまでも自分の中に求めていくんだと思う。だから、自分で悩み自分で考えて、答えを出していく。時に直感に答えを求めることがあるという意味で、スピリチュアルも内面に向いているという反論もあるかと思うけれど、そこでいう直感は、内省した結果得られる種類の直感とは違うのかなって。

日本語で言うマインドフルの意味は、思いやりがある状態、心配りをしている状態、自分自身を客観的に見ている状態など、色々な状態を示すことができるが、それらはいずれもその瞬間における心の有り様を語っているんだと思う。

そして、マインドフルな状態が継続していくと、その人の生き方や生き様というものを語り始める。そして、それはその人の持ち味、その人らしさを表現する様になる。

これをファッションにリンクさせて語ると、マインドフルであることで、自分の嗜好と、自分に期待される役割とか立ち位置の両方を踏まえて装うということに繋がっていく。僕たちのスクールで伝えている、「装いはギフト」という言葉はこのことを意味している。例えば、友人とレストランに行く時、自分の気分だけで勝手に装うのではなく、その装いは、一緒にいる友人のみならず、レストランという場、そこに同席する他のお客様などにとってもギフトになっているのか、なんらかの価値を生んでいるのかと、自らに問い続けることになる。それは限りなくどこまでも自分との対話である。星の動きやカードからは答えが出ることが無い、まさにマインドフルであり続けようという終わりのない取り組みなんだと思う。

以上


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