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名前が放つ魔法

その男には妻と愛人がいた。
妻の名前は「たかこ」、愛人の名前は「あや」。

その男には妻と愛人がいた。
妻の名前は「あや」、愛人の名前は「たかこ」。

同じ設定なのに、名前が違うと別の物語を連想しませんか。

愛人のあやは、いずれ男とお別れを迎えるけれど、たかこ、という名前の愛人は、しっかりした人生設計を持ち、いずれは妻の座に収まる・・・という可能性を感じるのは僕だけでしょうか。

※もちろん、この名前はあくまでも一例であって、深い意味はありません。

さて、この話は、NHKラジオ番組、高橋源一郎さんの「飛ぶ教室」において出た話題です。

名前の持つ、響きとか、音の力。

 僕の名前は、さくらだたけや、です。僕は中学の頃、自分の名前がなんだか気障っぽいなぁって思っていたんです。きっかけは、一部の男子グループとの関係がこじれたとき。もし、名前が「たけし」だったら、気障じゃなくて、素朴で男っぽい響きだから、もっとすんなり仲間に入れたんじゃないかなって真剣に考えていました。

「あや」の母音は、「あ」が2つ。「たけや」にも「あ」が2つ。

「あ」で終わる言葉は、明るくて広がっていく感じがしますが、それが仇になることも。これに対して、もし「たけし」ならば、最後の母音が「い」。「い」で終わる言葉は、ぐっと引き締まる感じです。だから、他人をむやみに刺激しない。

そして、名前に「ラ行」が入ると、それでけで気障っぽいと。これは、予備校の現国の講師が授業中に、僕の同級生の「きりおか」君に言った言葉でした。

歌舞伎役者の襲名は、名前の持つ力を代々受け継いでいく良い事例ですが、普通の家庭ではこういうことはやらない。せいぜい、画数を見るとか、両親や祖父母の名前から字をもらうとか。

でも、名前は画数も大事だけれど、音としての響きも、同じかそれ以上に大切なのではと感じています。

例えば、成人になった時、自分の名前を好きに変えてもよい、というルールになったら、自分自身のイメージにぴったり合う名前を考えるんだろうなって。その時、「たけや」のままでいくか、「たけし」にするか。あるいは、まったく違う名前を思いつくか・・・昨夜はずっとそんなことを考えていました。


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