壁と羽虫

 寒い。 

 意識が眠りから離れてゆくのを感じる。最早、目を瞑っていても二度寝はできまい。かといって、この冷えた空気に身をさらす覚悟は更々できていない。

 寒さが、霜月も下旬に差し掛かろうとする朝がもたらす寒さが、一枚の毛布に染み込んで体に伝わる寒さが、寝起きの頭を強張らせた。

 手探りで壁のスイッチを押し、電気を点ける。背高のベッドは諸刃の剣だ。こうやって部屋の明かりが点けやすい代わりに、梯子ーーといっても、三段しかないのだがーーを下りなければならない。それが寝起きには億劫なのだ。

 十数えたら起きよう、を十分にわたって繰り返し、毛布を剥ぎ、体を起こし、欠伸をし、伸びをし、そして梯子を下りた。

 裸足に感じる床の冷たさで、頭がいくらか冴えた気がする。ベッドの傍らの机には、日本史の教材がひろがっていた。今日は卒業考査(最後の校内試験)の二日目だったと思い出す。 

 部屋を出てトイレをすまし、顔を洗い、自室に戻り教材と向き合った。そう言えば、出題範囲を一通りする前に寝てしまった。

 問題集が問いてくる、 

『大和本草』を記したのは誰か? 

 ノートに、「貝原益軒」と書く。

 問題を見て、解答する(分からなければとばす)を繰り返す。歴史を「勉強する」とき、ふと虚しさのようなものを感じることがある。それは、単に「勉強」が作業に終始しているように思えるからではなかった。人の営みが、例えば一行の文で語り得てしまう。簡単に言えば、その空恐ろしい認識が時として頭をよぎるからであった。 

 勉強が一段落すると、リュックに教科書やら問題集やらを放り込み、筆箱をもう一つの鞄に入れてからダイニングへ向かった。

 朝食の時間が近い。母が起きてその支度をする間、スマートフォンでニュースや天気予報を見る。午後から雨が降るらしい。一応自転車で登校できそうだが、帰りのために合羽を持っていこう。

 蜂蜜がかかった食パンと、菓子パンと、母が作ったスープ。それらを平らげると、歯を磨き、自室でCDプレイヤーで音楽を聴きながら制服に着替えた。そして、リュックを背負い、自転車の鍵と、鞄と、それを荷台にとめるための紐を手に玄関のドアを開ける。 


 外へ出ると、妙なものが目にとまった。玄関を出てすぐ右側の壁に、黒っぽい小さな物が付いている。あまり目が良くないので、顔を近付けて見る。虫だ。

 羽虫がいた。だが、様子がおかしい。ハエトリグモが、その横腹にひしと食らいついている。これまた大きな獲物を…。と思っていると、彼らのすぐ側に細かい黒い粒が沢山固まっているのに気がついた。

 それが何であるのか悟ったのに遅れて、力強くゆっくりとした衝撃が眼から脳へ伝わるように錯覚した。

  卵だ。 

 この場面に対して、至極簡単な説明がつく。つまり、産卵中あるいは産卵後間もない羽虫に蜘蛛が襲いかかった。そして、その続きが今も目の前で進行しているのだろう。もし、この卵の存在がなければ、これほどまでに衝撃を受けることはなかっただろう。

 この羽虫は、自分の命を奪われることを臆せず、新しい生命ーー自身の生きた証でもあるーーをここに遺した。この世に生を受けたものたちのすぐそばで沈黙している羽虫は、その全身で壮大な命を語っている。 

 未だ衝撃の余波から冷めやらぬまま、エレベータで降りて、駐輪場へ向かった。鞄を自転車の荷台にくくりつけ、鍵を回す。そして、自転車のスタンドを倒そうとして気付く。

 合羽を入れてなかった…。

 大急ぎで、エレベータではなく階段で三階へとのぼり、自宅のドアを開けた。突然開いたドアに驚いているであろう家族のために、合羽を忘れたことを大声で伝えながら合羽をリュックに入れ、また乱暴にドアを開け、外に出た。

 そう言えば、と先程眺めたばかりの虫の方を見る。彼らはまだそこにいた。顔を近付けると、蜘蛛が獲物を咥えたまま後ずさった。羽虫は、完全に死んでいる。あるいは、その天命を従容として受け入れようとしているのだろう。卵もまた、くっついたままだ。 

 ここに、この壁の一点に、複雑な形で生命が同居している。蜘蛛は羽虫の命を奪い、羽虫は奪われながらも、この世に生命たちを遺した。その事実は、まさに自分が立っているこの足元が揺らぎ、目の前の壁と一体化してしまうような、視界を揺り動かされる感覚をもたらした。

  私は、しばらくその場に呆然としていた。

 つまるところ、この地面を感じている私の命は、そんな風にして立っている。

 

 






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