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卒制日記8(何を書くか、どうやるか)

 脚本執筆のため、卒制日記の更新を止めていた。しかし、進捗は芳しくなく、現状では脚本執筆と稽古が同時並行で進んでいる。いよいよ9月も中旬に入り、稽古も11回を数えた。これまでの取り組みを記録しておく必要があると感じ、久しぶりに記事にまとめる。

 前回(卒制日記7、稽古としては8月13日)以降も、頻度は変わらず週2回の稽古を行なっていた。アプリも変わらずZoomを使用している。

脚本執筆と相談

 上記の「脚本執筆と稽古の同時並行」は、稽古本来の機能を考えると好ましくない状況である。脚本執筆を目的に、俳優たちの時間が割かれてしまう場合が多いからだ。脚本家が俳優を道具に使って制作を進める構図を強めてしまう。
 と、指摘しておいてぼくもこれまでの数回の稽古で、俳優たちに脚本の相談をしてきた。言い訳をするなら、今回はリモート形式自体がコンセプトの一部となっており、その形式に即した内容構成が重要である。チームとしての合意形成に稽古の時間を拝借した、との説明でご容赦頂きたい。

 ここでは、少し脚本の内容に触れながら、脚本執筆と稽古における相談内容の経緯を振り返ろうと思う。

 脚本の執筆を始めてから、いくつかのバージョンを経て現在の書き進めている物語に至った。大まかにまとめると、初期から順に「ビデオレター版」「雨版」「ライブ版」の3バージョンがある。

 稽古開始前から試作品制作(前回卒制日記7を参照)あたりまで構想を練っていたのが「ビデオレター版」である。1つのビデオレターをきっかけに、登場人物たちが謎を追うような内容を考えていたのだが、イメージが散らばるばかりでほとんど具体性はなかった。
 もう1つの課題として、試作品段階から、人物の描き分けに難しさを感じていた。俳優それぞれにより適した役を書きたいと思い、稽古の時間を借りて、お互いの印象を言い合ってもらった。取り上げる側面自体もそうだが、それぞれが他のメンバーのどの部分に着目し、どう感じているかを言葉にしてもらうのは単純に面白かった。一方で、直接会ったことのない俳優同士がお互いの印象を語るのを聞いていると、こちらから頼んでおいてなんだが「こんな劇作、した経験ないな」と不思議な気持ちにもなった。

 8月下旬になり、やっと1つの物語にまとまったのが、「雨版」だった。ここでは、現在の感染症流行を雨に置き換えた。8人の登場人物がそれぞれ出会い、親交を深めるが、雨によって分断される。雨が上がり、その傷跡が残る中、再び結ばれる関係を描こうとしていた。その関係は、それぞれの印象から役柄を当てはめて構成した。
 しかしながら、雨版の発想の元は感染症と災害の安易な置き換えであり、現実に発生している問題に対して過度な単純化が起こっていた。感染症も、災害も、それぞれ複雑な現象であり、単に置き換えられるはずもなかった。その致命的な欠点を理由に、練り直しが必要だった。

 そして登場したのが、現在の「ライブ版」である。登場人物は8人の大学生。それぞれが日常の中で他者と関わりあう場面を抜き出す。そして、本来ならば関係のない8人が、ある日偶然、1つのライブハウスに居合せる。その時間の流れと出来事を上演したいと思っている。
 雨版を練り直す中で、単に感染症流行を作品に落とし込むのではなく、むしろ応答すべきだと感じ始めた。現在行えない集まりをフィクションとして描き出すことに応答の入り口があるのではないかと思っている。バラバラに居る現実と、一緒に居る設定のフィクション。その狭間の感覚を作品観賞の中に起こすことができれば、現在の背景を合わせた形式の目指すところなのではないかと思う。

 上記3つのバージョンとは別に、一貫して、それぞれの部屋についても考えていた。そこが劇場ではなく、個人の生活の場である部屋だという事実。バラバラの場所にいる現実を無視せずに、むしろその背景を土台にして、作品にしていきたい。

 ここまで簡潔に経緯をまとめたが、実際は大いにもたついていた。作品として面白いのか、より良くなっているのか自信が持てなかったし、それを口に出して俳優たちを不安にさせた場面も多々あったと思う。本当に申し訳ない。一時は俳優の1人に「全部やめて作り直そうと思う」と相談したこともあった。今なんとか形にする方向に進んでいるのはメンバーの力添えあってのことだ。ありがとう。全て終わってから言うべきことなのだろうけど、ここにも書き残しておきたい。

オンライン稽古の進め方

 完本には至っていないが、すでに出来ている場面の稽古を始めた。オンラインでの稽古は、進め方もオフラインと異なってくる。

 本格的な稽古開始にあたって、厳密な立ち位置や写り方を決めるための「撮影稽古回」と俳優同士のやりとりや演技を練習するための「芝居稽古回」を分けて設定した。これは、今回採用している形式上、撮影段階において画面構成を厳密に設定する必要があるからだ(卒制日記7を参照)。Zoomでお互いに見える画面のワイプと、カメラアプリで撮影した際の画角が大きく変わる場合があるので、普段はZoomでやりとりをしながら段取りや演技をすり合わせ、撮影稽古回で正確な立ち位置を決めることにした。

 細かい点で言えば、俳優たちに、出来るだけミュートにしないよう呼びかけた。参加者がミュートにしていると、話し手の一方通行な働きかけになってしまう。話し手は孤独感が増す上に、参加者の積極性も薄れ、彼らの意見があまり提出されなくなる。これは稽古に限らずオンラインでのコミュニケーションに共通する現象だろう。実際、ミュートを解除していると気軽に意見を言ってくれる参加者が多いように感じる。稽古の進行にも関係する要素である。

 改善の余地があると感じているのはぼく自身の振る舞いである。演出の立場上、他の俳優たちと違って画面の前に座り、それぞれの枠を凝視しながら稽古を進めている。この演出対俳優の非対称の構図はやはり好ましくないだろう。支配的な映画監督にでもなったかのようである。 集まりとして何か作る上では、出来る限りその違いを無くして、同じ立場で取り組みたい。とはいえ、演技中の俳優たちがお互いを見られない形式を採用している都合上、画面上で起こっている現象を観察する立場が必要になっているのも事実である。必要に迫られながら、もう少し理想的な形はないか探している。

これから

 まずは脚本を完成させたい。それを叩き台にして、俳優たちと一緒にリメイクしていくようなイメージが実現できたら良いなと思っている。

 長期的には、稽古を重ねた後、来月10月中を目処に撮影をして、編集作業に入る予定である。11月頭に動画を公開したい。宣伝の仕方も観客への事前情報として重要なので、考えながら進めていきたい。


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