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書けない、書けない症候群

このところ、わたしは「書けない、書けない症候群」になりかかっているらしい。

まだnote、3記事しか書いてないのに 笑

正確に言うと書いてはいる。
今日だって、本当は別の記事をアップしようと、
せっせと数日前から下書きしては保存、下書きしては保存。
なのに、9割ほど書いたところで、もう1人の自分が言うのだ。

"ん?それオチないよね?"

"それで何?ってならない?"

"そんな自分語り聞かされたって誰もおもしろくないよ〜"

"それ、タメにならないよね"

まさに、アラレのごとく降ってくる、グサグサくる言葉。痛い、痛すぎる。
そして、書く手が止まる。

"そうだよね、おもしろくないよね"
"こんなの書いたってね"
"たしかに意味ないよね"

書きたい熱意だけは溢れてるのに。
ついつい仕事以外の時間は、車を運転してるときも、お風呂に入ってるときも、食器を洗ってるときも書くことを考えてしまうくらいなのだ。

なのにいざ書き始めると、手が止まってしまう。

やっぱり、せっかく読んでもらうなら、
読んでよかったなって思ってほしいし、
誰かの時間を無駄にしたくない。
どんどん気持ちばかりが膨らんで頭でっかちになる。

いやいや、そんな一人前のこというほど書いてないやーん!とツッコミが入りそうだ。(エセ関西弁で失礼しました)

そういえば、noteを始める前に
Twitterで書くことを始めた頃に読んだ、
いしかわゆきさんの「書く習慣」。
(書くことのハードルを下げて、背中を押してくれた本)

そこにはたしか、
(文章の)意味は受け取り手が決めること
自分語りしたっていい
っていうようなことが書いてあったはず。
(言い方は違ってるかもです。すみません。)

そうだった。
大事なこと忘れてた。
その文章が役に立つか、意味を持つものになるのか、そんなの分からないんだ。

それにね、よく考えたら、人の自分語りを聴くのは
結構楽しい。
いろんな人の人生、思い、考えに触れられるから。

なにをそんなに構えて、
人の時間を無駄にしたくないとか、
どこぞやの巨匠みたいなこと言ってたんだ。
(巨匠はそんなこと言わないか…)

とりあえず、もう1回「書く習慣」を読もうかな。
うん、そうしよう。

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