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20210920

数年ぶりに友人の結婚式に招待され、はるばる他県へ出かけた。他人の結婚式は苦手だと言う人もいるが、私は割と好きな性質で、だいたい花嫁の年老いた家族たちの、嬉しさと寂しさが入り混じったような姿を見て泣いてしまう。娘を持ったからには、いつか立派に嫁に出すということをある種目的として長年自分の人生の全てを捧げることになるのだろうから、その積年の苦労がついに報われる瞬間の、寂しさを伴う解放感に、ひどく共感するのだ。

何十年も抱き続けた「いつか」がついに叶う時、晴れ晴れとした達成感のあとに、寂しさが襲ってくるだろう。新郎新婦そっちのけで、親族の皆さんのこれからの人生に想いを馳せずにはいられない。だから結婚式のあとは、必ず寂しい気持ちになる。葬式もそうだけど、冠婚葬祭というのは、本当に本人ではなく、その周りの人のためにあるものなんだと思い知る。

和やかで暖かい式が終わった後、私は一人その町に留まってしばらくバカンスを楽しむことにした。私にとって一人旅はこの浮世で庶民に許された1番の贅沢なのだけれど、友人や親族の皆さんには「大丈夫?」とかなり心配されてしまった。世の中には一人旅になんか全く興味を持たない人もいるんだ、と少し新鮮な気持ちになった。かく言う私も、別に一人旅が好きなわけではない。正直、一人旅中は楽しくもなんともない。綺麗な景色や美味しい食べ物があっても、分かち合う相手がいなければ空虚だと思う。それでも、何故か、疲れた時には、ふと一人旅をした時の記憶の断片が頭をよぎるのだ。その時は楽しくなかったはずなのに、何故かまた行かなければ、という気持ちにさせられる。きっと、普段家族や同僚や友人たちに頼って生きているから、ふとした時に自我が頭をもたげてくるのだと思う。2歳児のイヤイヤ期と同じである。

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