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2021.9.22

私は今洞爺湖のほとりで悠々自適の一人旅をしている。高校の時、ヘンリー・デイビッド・ソローの『森の生活』を読んでから、何となく森深い湖の湖畔での暮らしに強烈な憧れがあった。洞爺湖に訪れる用事ができた時に、ついに長年の夢を叶えるチャンスが来たとばかりに長期休暇をとった。

しかし、実際訪れてみると、洞爺湖は思い描いていたような山奥にある静かな湖ではなく、まるっきり観光地であった。ソローのような、自然と一体化する体験をイメージしていたので、正直ややがっかりしたが、よく考えてみると、綺麗な湖があって、温泉もあって、サミットで知名度も上がった洞爺湖が観光地でないわけがない。ホテルも新しくて広々しているし、これはこれで…

何をするでもなく、ひたすらに昼寝をしたり積読を消化したりしている。仕事のことや、世間の色々を考えないでいるのが、なかなか難しい。普段から何の役にも立っていないのに、こんな贅沢をして、バチが当たるんじゃないかとヒヤヒヤする。旅半ばにして、帰りたくなってくる。この旅が終わることを恐れるあまり、終わりを前倒しにしたくなる。思えば、そんなことばかりだ。今この瞬間を楽しむ能力が、私には欠如しているのかもしれない。

江國香織さんの『旅ドロップ』に、更級日記のことが書いてあった。曰く、平安時代の人は、良い景色を見るためにたくさんの時間とお金と労力を叩いたり、客人との別れを惜しんで涙を流したり、いたく刹那的な生き方をしていたそうだ。災害にも病にも今よりずっと人間が弱かった時代、先が見えない人生だからこそ、そんな風にイマを大切に出来たのだろうか。現代人にとっては、先が見えてしまうことの方が重大な病理のように思える。連綿と続いていく日々から逃れるためにも、刻々と変化する自然に触れて慈しむ感性を大事にしたい。

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