私らしく生きる努力を惜しまない

いつのまにか夏になっていた。年々、夏の空気の蒸し風呂化が進んでいると思う。日本は本格的に熱帯に近づいているのではないか。
けれども、夏の朝のあの青々とした空と、日差しが強くなる前のほんの一瞬の爽やかな風の涼しさは、夏にしかない素敵な時間だと、しみじみ思う。
そして、こんな時間の流れを確かに「流れている」と目で、肌で、心で感じることが、私にとって、最も幸せなことなのかもしれない、と思う。
人には、人それぞれきっと大切にしたいもの、宝物があるはずで、私にとってそれは「時間という記憶」だということに最近気がつく。

休日の朝、ホットケーキを焼く匂いに誘われて起きた、リビングに流れるゆったりとした空気、親戚のお家で話し込んだ、日曜日の昼下がりの温かいひととき、京都・出町柳の川の冷たい青色と、それと紛うような空の風の流れ、クリスマスコンサートの、時間をすべて凝縮したような静謐な時間。
人生には、とどめておきたい瞬間が山ほどあって、そして、それに気付くことのできる感覚の鋭さを忘れてはいけない。

この1年半は、疾風のごとき日々で、好きな音楽も本も、どこかへいってしまうほど、目の前の一つ一つに追われていた。常に明日の心配をして心臓を痛めて、考えを生み出していた。
自分という存在を忘却してしまうほどに次々と「するべきこと」があるのは、ある種楽なのかもしれないな、と思う。でも、そうすると、大切なことを隣に置いたままになってしまう。
怖い。ちゃんと時間を掛けて紡がなければならないことがあるのに。
上手くできてる風にしなければいけないのはしんどいし、上手く生きてる演技なんて、できない、と思ってしまう。

自分に素直にならなきゃ、と思う。
それが正しいとか、それによってより良い人生が送れるとか、そういうことは全く分からないけれど、そういう風に生きるのが私なのだと思う。
せめて、私らしく生きる努力を惜しまないようにしたい。

久しぶりに文章を書いたので、感覚が鈍っていると思います。ごめんなさい。

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