変わるもの、変わらないもの
何となくやりたくなくてサボりにサボった仕事の休憩中に、前々から観ようと思っていた「シティーハンター」の映画を予約した。
そして本日の業務を終えて逃げる様に退社した私は、あれ、といつもよりも歩調が軽く、やはり定時で退社する事に対して若干の嬉しさを感じているらしい。それに加えて前から楽しみにしていた映画を観られる事に高揚しているのだろう。
少しでも映画館にお金を落とそうと、正直食べるのにきつい程のポップコーンとファンタメロンを買った。
夜遅い時間なのもあってか、人の入りはまばらで、それがすごく贅沢に感じた。席に座り一息つく。私はあまり上演中に咀嚼音を撒き散らすのが好きではないので、映画が始まる前の色んな映画を観ながらある程度食べていた。シアターのライトが暗くなる。やはり暗いと落ち着く。上映中のマナーを周知している間に大きく深呼吸して、偶には仕事も忘れて、作品にのめり込もうと思った。
上映が終わった。「シティーハンター」はやっぱり変わらない。EDの「止めて、引く。」事の魔力を感じていた。周りが照らされてほんの少しの間余韻と考察に浸った後、荷物をまとめて立ち上がる。いい映画だったな。
帰りの電車、青空文庫で太宰治の「女生徒」を読んでいた。相変わらず独特の言い回し、そして意地でも句読点で切らない様に感じる喉に絡みつく様な文章。これはこれで好きなのだが、常に小説に比べたらほんのひとつまみの文章しかないSNSに触れている私にとっては読むのに一苦労であった。確かこの本は太宰の元に送られた名の知らぬ女性の手記から影響されて書いたと聞いたが、その手記もこの様な感じで書かれていたのだろうか。
家に着いていた。私は家に常駐させている日本酒の瓶を開け、水でゆすいだだけのグラスに注いで飲み始める。そしてノートパソコンを開き日課のYouTube。ここまでの動きは随分と当たり前の様になっているが、週末のライブで弾き語りを披露するのに、全くもってギターを触らない日が続いている。少し触るべきかと悩んでいる最中、不意にYouTubeトップのおすすめに“にゃんたこ”の動画が表示されていた。珍しい、と思い投稿日付を確認する。昔の動画がたまにトップにのる為、これもその流れだろうと思った。目を疑った。投稿されたのは今日だった。
動画の内容は、これまで自身が投稿してきた生活の記録と、今の活動がガラリと変わってしまって、それについて来れていない私を含めた視聴者に対してのメッセージであった。
“にゃんたこ”は、変わらない。
https://youtu.be/-QNIJrSKzyU?si=HygLrcglAGI4ANM4
私が“にゃんたこ”を初めて観たのは、まだ大学も、就職も、何も知らない浪人生の頃であった。ただ、YouTubeを観ている時点で、ほぼほぼ浪人から足を洗おうと画策し始めたあたりだろう。あの頃は外に出たり、誰かと話す事もない虚無の中で、自分の部屋という牢獄から抜け出せない人間でいた。
夜明け前だった。カーテンの隙間から青き憎い光が差し始めたあたりで、他の動画と全くもって違う、異質なサムネイルが私を釘付けにした。それは陽の光を浴びながら、グラス片手に一息ついている様子で、黒字で「空っぽだなあ」とだけつけられた動画だった。
「なんだこれ??」って言ったのを未だに覚えている。本当に、一字一句違わず「なんだこれ??」って言った。
動画を開くと、犬の散歩風景が流れ、サムネイルにいた女性だろうか、料理を始めた。随分と大雑把に見えて、包丁で指を切らないか心配になる。
私は「人の生活を覗き見してるみたいだな。」と独り言。
そして、字幕にて急に哲学、語彙で殴られる。ただ画面の中にいる謎の可愛いTシャツを着ている女性は、自分で作った飯を食べているだけなのに。
衝撃だった。そこから私はその“にゃんたこ”が投稿している動画を観漁った。全て平らげた後、“にゃんたこ”そのものに惹かれていた。
それからも私は“にゃんたこ”の投稿する動画を追いかけて、その大雑把な料理技法に目が慣れたあたりで、遂にパチンコを打ち始める。「CR フィーバー戦姫絶唱シンフォギア」、これが私の初めてのパチンコ台だった。4ぱちで打ち、9千円溶かす。敗北の味を知った。
それでも、真昼間から酒を煽る様なカッコいい(私から見て)人間に一歩近づいた気がした事が何となく嬉しくて、それが社会的に見れば良くない事だと知っているが、遂には多くの金を注ぎ込む様にのめり込んでいた。
そんな中、段々と動画の更新頻度が落ちている“にゃんたこ”を観た時は悲しかった。更新頻度が落ちる事は、私が“にゃんたこ”を見る機会が減り、私が“にゃんたこ”そのものを忘れてしまう速さに比例していた。
パチンコ屋への来店イベントがある事は分かってはいたが、物理的な距離と、いや、距離は言い訳にしてはいけないのは分かってはいる、が、何度も言われてかつ面倒な言葉である事は承知の上で、正直な気持ちをはっきりと書く。
遠くに行ってしまった様な気がして、行く気になれなかった。
私は初期の「思春期くぱぁ」のTシャツを今でも着ている。実家でも着ていたし、一人暮らしの引越しでも持って来た。これを書いている今でも着ている。元々白だったこの服も、日々の汚れと日に焼けて普通に黄ばんできた。でもずっと着ている。
それは“にゃんたこ”がどこまで遠くに行こうが、頑張っているのだから陰ながらでも応援したい気持ちと、ほんの少しだけ、昔の動画のようなものを投稿してほしいという願望の現れであった。
ただの独りよがりで、全く“にゃんたこ”本人の気持ちを考えていない文章をつらつらと書いている。ごめんなさい。ただ、あなたがまた動画を投稿してくれたのを観て、私は嬉しかった。ゆっくりでいい、自分だけのペースでいい、どんな動画でもいい。恐れずに投稿ボタンを押して欲しい。
私はあなたの動画を観てあなたを知り、あなたの日常、紡ぐ文章、生き方が好きだった。それはこれからも変わらない。最初に動画を観た時から数年経った今、私の生活は大きく変わって、昔はしがない浪人生だったのが、訳も分からず就職して仕事に追われる毎日となり、住んでる場所も実家から一人暮らしへと大きく変貌して、本当に色んな事が変わっていきました。
そんな中でも、どんなに生活が変わっても、自分の芯だけは変わらないと、私は私であると。
気付かせてくれて、また投稿してくれて、本当にありがとう。まだ応援させてください。
人生の大きな分岐点において、多大な影響を与えてくれた私のルーツとして、“にゃんたこ”という人物がいた事を私は忘れないだろう。
夜が更けてきた。久々に“にゃんたこ”の昔の動画でも観て、憎き朝日からの現実逃避をしよう。
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