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音楽を言葉に翻訳する

ずっと気になっていた展示に行ってきた。

東京都現代美術館:クリスチャン・マークレー「翻訳する:Translating」

「音楽」を言語化するとしたら、可視化するとしたら、どう翻訳するだろう?

ジャジャジャジャーン!!!!(ベートーヴェン風)

素人発想だと、こういうことになってしまうのだけれど。笑

楽器の種類、強弱、高低、リズム、サウンド、音域、場所、空気感などの様々な要素を同時に言語化すること、可視化することって、、、

「クリスチャン・マークレーはこう表現する」これこそが、この展示の見どころだと個人的には感じた。

わたしが一番好きだったのは、Mixed Reviews という作品。

マークレーが、音楽のレビューからサンプリングして制作した「言葉の音楽」

突如鳴り響く鉄琴の音色からすべてが始まり、催眠術のようなパーカッションと大げさな和音による軍国主義のマントラがいきなり現れる。

音楽は複雑で、へんてこな力を宿しており、激しく降る雨に滑ってコントールが効かず、家畜の群れに激突する大型トラックのようだ。

総じて言えば、これらの楽曲は偶然が重なってできた、興味深い構造を持った電子コラージュである。まるで子守歌のように。

こうした実験的な音楽を20分も聞いていると、失望が頂点に達する。アーティストが何を目指したのかを考えなければならない。曲がアルコールの海で溺れてしまっているかのようだ。

サーカス、あるいは消化に時間のかかるインゲン豆の料理が思い浮かぶことだろう。

前回、日本でクリスチャン・マークレー展が開催されたのは、1999年のオペラシティ・アートギャラリーだったらしい。

ドイツでの展示を経て、この「言葉の音楽」はドイツ語から日本語に翻訳された。

その後、様々な国での展示と共に、あらゆる言語に翻訳され、2022年日本に帰ってきた今回は、カタロニア語から日本語に翻訳されている。

同じ原文の「言葉の音楽」は、1999年の日本語訳とは異なる日本語訳になっているだろう。

そして、このMixed Reviews という作品を通してマークレーが示したかったこと、それは。。。

複数の文化を行き来し、言語によらないコミュニケーションに惹かれてきたマークレーの関心は、行為を重ねるほど元々の経験から遠ざかるという、音楽を言葉に翻訳することの不可能性にある。

翻訳を重ねれば重ねるほど、元の経験から遠ざかる。

更には、音楽を言葉に翻訳することは不可能だと。

翻訳することが不可能だと分かっていながら「言葉の音楽」は、今後も様々な言語に翻訳され続ける。

この作品に完成はない。

元の経験から遠ざかり続けるこの作品は、今後どう変化していくのだろう。

Mixed Reviews 以外にも、音楽にまつわるグラフィック、映像、プロダクトによる展示がたくさんある。

ビデオ・カルテットという、映像作品もよかったなあ。

そして展示の終盤、驚くべき体験をする。

グラフィックの静止画の作品を観ただけで、わたしの頭の中で勝手に音楽が鳴り響いたのだ!!!

あれは何だったんだろう。。。

音楽は言葉に翻訳できない。

けれど言葉やアートは、音楽によって翻訳できるのかもしれない。

そんな余韻を残す、素晴らしい展示だった。

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