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内臓の奥までみせられないのがはがゆい

Amazonで借りて
映画「永遠が通り過ぎていく」を観た。

監督の自伝的ストーリー
ありきたりだけど痛々しくて儚くて美しかった。


まず、59分という長さ。
時間をいかに上手く使うかという現代社会に順応し、常にながら作業をしてしまう私にとって
かなり助かる長さだった。
サクッと観られてサクッと感動できて、サクッとエモくなれる。

自分のこういう深層心理を認めたくないとわかっていながら、
私は映像を、文学を、アートを、芸術を
ゆっくり噛み砕いて堪能して、味わえるニンゲンなんだと思いたいがために選んでしまう。
もうこんな裏の読み合いは小学生のときから
ずっとしていて、自分でも自分がわからないけど、

とにかくこの映画が今の自分にちょうど良いという感覚があった。
作品を知った瞬間に検索して、レンタルして、ダウンロードして観た。

500円
48時間しか観ることのできない作品に(もちろんその価値があることはわかっていても)この金額を躊躇せずすぐに払える資金力と、それをダウンロードして手元ですぐに観られる時代に生きていること。感謝   


物語は、短編3つがある構成だった。
最終的にこの作品をほんとうに素晴らしいと思っているので、自分の語彙力のなさでダメにしてしまう気がするので詳しく話せないけど、

少し棒読みながらに話す演技が凄く好きだった。
この世界観に、ずっと愛が枯渇していて
愛が大切なんだと訴えてくる感覚があった。

それと特に好きだったのが
3編めのMの映像と音楽のシーン。
大森靖子のM、かなり好きになった。

“絶対一生この人でないのなら永遠にひとりでいいとおもって処女でした“


痛くて苦しくて、そういうことにしかエモさを感じない女であるわけではないけど
どこか救われる気持ちになる。

音楽と映像、
やっぱりわたしって好きなことの軸に音楽があるのかな、と分かった。
そうだった、SFよりもサスペンスよりも
なによりもミュージカル映画が好きなんだった。

映画という作品としては
タブーかもしれないが、Mの部分は巻き戻して何回も観た。観たというより聴いた。

あなたは黄金のオルゴール。
神様がこの世界に最後に託した希望なんだよ。
ほんとうにごめんね。
邪魔をして本当にごめん。
愛していたの、おままごとだっていうんでしょ。
ごめんね。

最後にこのセリフが乗っかってくる部分が特に好きで
あぁこういう作品で心を靡かせていたいと思った。
後ろでピアノがポロポロポロポロと高い音階で繰り返された後に、ズドーンと低音の和音が入ってくる。
セリフの間が、触ったら壊れしまう、あと一本の支えで成り立っているような脆さを感じさせてくるのが堪らなかった。悲劇でも絶望的でもなくて、
色でいうとlight graiyshなピンクと、鉛のような空だと思った。
11/12の大切な試験が終わったら、それからしばらく休みの日はピアノを弾こうと思っていて
Mを耳コピしたいと考えている。

※そのあとほとんど同じような感動を
YouTubeで得られることも分かった。

Blue Through

この作品に出会えて良かった。
今以外の人生がわたしにもあったかもしれないし
経験したかったなぁとまたないものねだりしてしまった。また愛について考えさせられた。
愛だなぁ。愛が大事なんだよ。

明るくて応援してくれるhappyな作品ではないけど、明日からがんばろうと思えた。
自分の孤独が肯定されたからだと思う。
空とか木とか草とか花とか、虫も含めた生き物、自分も周りの人たちも、感情とか心とか全部本当に存在してて、生きてて愛だと気付かされた。


といいながら
自分は周りを実は信頼できていない、ようで
この映画を好きな映画としてあげたら
思想強いなあ、とか
なんかちょっと変わってる、とか
思われると勝手に思ってしまっている。
自分が愛を持って大切にしたいものを他人に話して、他人と同じように共有できなければ
わたしが好きな大事な大切なものが無碍にされて、自分の愛も純度が下がって相手に合わせてへらへらしてしまう。それが怖くてあんまり言えなかったりする。

別にいいんだけどなあ。わたしが素晴らしいと思ってるし私という宇宙のなかではそれがいいんだからさぁ

現実世界では、そうして大切に大切に孤独に愉しむんだけれど不得多数のネットの海に公開してしまうことで、仲間が見つからないかななんて小さく期待してしまっているのも事実。

まだまだそんなことを考えている情けない自分に、
でもその情けなさって悪いことでもないし素晴らしいものでもなくて、
とにかくいい作品に出会えたね、愛だなぁ。

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