“死ぬこと以外かすり傷”って本当?


“死ぬこと以外かすり傷”

この台詞は誰もが聞いたことがあるだろう。
そもそも本のタイトルであったこの言葉だが、
完全に言葉だけで歩き回っている有名な言葉だ。

基本的に、どんな困難でも死ぬほどのことではないから恐れずに立ち向かえ、という意味である。

かなり、わかる。

しかし、本当に死ぬこと以外はかすり傷なのだろうか。

人の1番の恐怖は死ぬことなのだろうか。


私には死ぬほど嫌なことがある。
オーケストラのレッスンだ。

レッスンの日に大学に向かっていると、
駅のホームにこのまま飛び込めば今日行かなくていいかな
赤信号で渡って事故に遭えば今日行かないで済むかな
大きい地震が来て電車が止まればいいのに

こんなことをひたすらに考える。

この考えを持つとき、
ある意味私は死に対して寛容であり
恐怖を覚えていない。


人間、本当に嫌なことを目の前にすると
死を軽んじる。

私だけではない。
同期や後輩も、レッスンの日は
何かしらの死ぬ方法を探しながら
練習室に来る。

誰もが現実逃避の方法として死を引き合いに出す。

この状況を“かすり傷”と表現されることに対し
少しの怒りを覚える。

しかしながら、
このような感情を“かすり傷”で
まとめられてしまうことは
大人なので仕方なく飲み込むことができる。



では、死を軽んじるほど嫌なことが
“かすり傷”であるなら、
やはり死ぬ事以外はかすり傷なのだろうか。

これだけ死んでもいいと思っている人が溢れる
この世の中、
この日々であっても
いざ死が現実に迫ると不安になる。

自分の身に起きていなくても。

どこかで大きな揺れが起きていたら、
未知のウイルスが迫ってきていたら、
誰でも心底怖いと思う。

これは死の恐怖なのだろうか。

私は、死が怖いわけではない。

死が間近に迫ったとき、
自分が生き残ることが怖い。

災害で自分以外の大切な人を失ったとき。
街が見るに耐えない状態になったとき。
“可哀想な人”として報道されるとき。

これが1番怖い。

生きている日々の中、
死を軽んじるほど嫌なことはある。

この嫌なことを“かすり傷”という言葉で表すのは
個人的には癪であるが、理解はできる。

ただ、生き残ってしまうこと。
これはかすり傷なのか?


疑問に思う。

私は、生き残ってしまうことは
死より怖いと思う。


私はまだこの恐怖を体験していない。
本当の恐怖は知らない。

だから、ただ願うことしかできない。

かすり傷以上の怪我を心に負った方々に
どうかどうか穏やかな日々が訪れますように。

そして、かすり傷以上の怪我を負う人が
出てしまうようなことが
この世界に起こりませんように。



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