ウォーキング小学生

川べりを歩く

小学校に入るか入らないかの頃、私は家庭内である事件を起こしたことがある。

祖父母宅(母の実家)は、目の前に長良川があり、家を起点として、川にかかる2つの橋(忠節橋と金華橋)のちょうど中間地点に位置していた。幼い頃は長良川の河原で祖父や従姉妹と川遊びなどをしたものだ。今思えばとても贅沢な遊びだ。

忠節橋から長良川越しに金華山頂に建つ岐阜城(模擬天守)を望む。いつ見てもこんなに堂々とした山城はかっこいいと思う。


ある日、祖父母が「健康のために早朝にウォーキングをしている」という話をしていた。早朝に家を出発し川沿いを歩き、金華橋を渡り、対岸の堤防へ。そして堤防を真っ直ぐ歩き、逆側の忠節橋を渡り、家へ戻る。家を起点にぐるっと1周歩くウォーキングコースについて具体的に話してくれた。

当時、私はその話を聞いて、「大人っぽいな」と、なぜか羨ましくなった。そして羨望のみにしておくのは勿体ないと、翌朝すぐに実行に移すこととなる。子供の頃から「すぐやる課」だった。性分なんてそんなものだ。今とたいして変わっていない。思い立ったらすぐに動く生き物だ。その後の人生、その性分で何度も失敗することになるなんてまだ知らなかったけど。


皆が寝ている間に…

皆が寝ている朝早く(5時くらい)に起きて、こっそり玄関から出発した。季節は夏だったが、まだ涼しくてひんやりとした風が心地良い。すれ違う人と朝の挨拶を交わしながら川べりを歩く。早朝に知らない場所をどんどん進んでいくのは、新しい冒険みたいでとにかく楽しかった。

2時間弱で新しい冒険はエンディングを迎えることになる。こんなことは初めての経験だったので「やり遂げた!」くらいの満足な気持ちで帰宅しようとしていたら、向かいから(まだ若かった)母が半泣きで「何してんのよ!」と、私のことを迎えに来た。なぜか泣きながら半分怒っている。幼き脳内では「え?なんで私が怒られるんだ?」と吉沢秋絵ばりの「なぜ?の嵐」が吹き乱れた。つられて泣いて、とりあえず「ごめんなさい」と謝った気がする。時が流れ、私が40代を過ぎた今でも母や叔母たちはこないだ起こった出来事のようにこの事件について話す。そのくらい衝撃的だったらしい(今もなお、本人には自覚全くなし)。

今も建物は残る元・祖父母宅。左側の窓の向こうはかつての応接間。8トラのカラオケで中森明菜と薬師丸ひろ子を歌いまくる小学生だった

しばらくぶりとなった祖父母の墓参を終えて、帰りのバス停を目指し、しばし川沿いを歩く。あの頃、とんでもない長距離だと思っていた橋までの距離は今となってはたいしたことはない。冒険の「ぼ」の字すら浮かんでくることはない。でも少しだけ寄り道をしたくなった。

忠節橋を渡り終え、令和になった現在も当時のまま残っている祖父母宅(築100年以上!)が見えてくると、玄関先で「たいしたもんだ」と笑いながら幼い私を褒めてくれた祖父の笑顔を思い出す。