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2024.6 紫陽花


以上、ここまでうつくしい紫陽花の写真を載せた。
以降、私の最近寂しかったことを書く。

先日、私が撮影した写真を、同居人に見せた。
以前、同居人は私が撮影した写真を好きだと言ってくれたことがあって、それ以降頻繁にではないが、何度か写真を見せている。
そして今回も、友好的な反応が返ってくると思っていた。

思っていた…。

私が撮った写真を見せられた同居人は、なんとも絶妙な顔をして、なんとか褒め言葉を捻り出そうとしていた。
頑張りが伝わってくる雰囲気と顔だった。
そして何回か、頑張って褒めようとしては失敗し、ついに、
「俺は…えりかのセンスは、よくわからないからさ…」
と言った。

ええええええええ??????????????
私の写真好きじゃなかったの?????????大好きと告げてくれたあの言葉は変わってしまったの???????いつ?????ねえいつ???????
適当な褒め言葉が来ることを予想していた私にとって、青天の霹靂だった。あまりの衝撃に耐えきれずに宇宙でひとり取り残されたような孤独感に襲われ思考がストップして泣く私を見ながらおろおろする同居人を置いてとりあえず寝た。
びっくりした。びっくりしすぎて次の日は熱を出してしまい家を出る直前に上司に電話して有給休暇を取得した。上司も驚いていた。私も驚いている、今でも。

会社を休んで天井を見つめながら、考えていた。
ずっと無理に好きだと言わせてしまっていたのだろうか。そうだとしたら申し訳ないことだ。しかし、私が撮っている写真は私の中だけで完結しているから私が満足できればそれでいい、というのは昔からずっと変わっていないけども、共生している人類ひとりにだけは分かっていてもらいたかった。
他の誰にどう思われていても構わないが、同居人には受容されていたかった。

と、そんなふうに感傷に浸りBGMにグリーン・グリーン(合唱曲)を流しているうちに、思い出すことがあった。
15年前、私の近くにいた知人のことである。

知人はバンギャだった。今どうしているかは知らないが、当時は麺カノ(V系バンドのバンドマンの彼女のこと)で、よく高田馬場AREAの昼の部に彼氏が出演していた。なかなか献身的に見える女の子で、よく彼氏のバンドのチケット販売を手伝ったり、金銭的に援助したりしていた。
ある時、彼女に聞いたことがある。やはりあなたの彼氏は魅力的な音楽をやっているのかと。だからそんなに費やせるのかと。
返ってきたのは「いやいやないないwww」の一言だった。演奏は下手だしそもそも…とその後1時間くらい彼氏の愚痴が続き、最後に彼女は、「でも、まあ、彼氏だから」と言った。続いて、「あと麺カノブランドは捨てられないから」と。

彼氏だから…………………。

なるほど……………………..。

同居人が、私が撮影した写真を好き好き大好きと言ってくれた当時のことを思い出す。あの時、同居人は恋に愛に浮かれていた。浮かれ切っていて今よりだいぶロマンチストだったし、私はそんな浮かれた姿にけっこう引きつつ、面白く見ていた。
きっとあの時の同居人ならば、私がお手玉しようが塗り絵をやろうが褒めそやしていたことだろう。
そして同居人が私の写真を好きだと言っていたのは、おそらく私が同居人の「彼女」だったから。

同居人の私に対する感情が、直情的で単純な恋から、家族愛へとシフトチェンジしていく中で、私が撮った写真に対する感情も同様にシフトチェンジしていき、冷静な見方へと移っていったのだろう。

私が気付かぬうちに、同居人の恋は終わっていたのだ。

BGMが小さな木の実(みんなのうた)に変わって、延々と泣いた。恋が終わっていたことに泣いた。
いや、今まで気づいていたけれど、気付かないふりをしていたんだろうと思う。我々はもう家族であって恋人ではない。
全てが受容される時期はとうの昔に終わっていた。

悲しいことは何もない。ただ寂しかった。
恋が終わっていたことが。

私の写真が上手くなることや、同居人のセンスと私の撮った写真が合うことはきっとない。そのことも少し寂しいが、恋の終わりに比べればなんだろう。

寂しい午後だった。

次の日から私はまた元に戻り、同居人も普段と変わらず日々を送っている。
ただあの時の寂しさだけは生涯忘れないだろう。


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