イテリメン語の否定とその現実性について
2024年7月12日、北海学園大学の小野智香子研究室と北海道大学言語学サークル Hulingの共同開催という形で、北海学園大学の教授である小野先生に特別講義をしていただきました。詳細については、こちらもご参照ください。
講義は、「イテリメン語における否定」というテーマでした。以下の記事は、その時講義いただいたものをもとに、イテリメン語の否定についてまとめ直すものです。
イテリメン語の否定諸形式
詳しくは小野(2016:233-246)や書籍『イテリメン語文法 -動詞形態論を中心に-』を参照のこと。議論の前提となる部分について最低限をまとめる。
イテリメン語の否定形式は、大きく分けてa. 接尾辞型とb. 定動詞型に分けることができ、それぞれ以下のような構成となっている。
a. 接尾辞型:否定詞+動詞語幹-否定接尾辞(+補助動詞)
b. 定動詞型:否定詞+定動詞形
否定詞は、qaʔm、zaq、wijaq、χeʔncの4種類があり、うちqaʔm、wijaq、zaqは接尾辞型、χeʔncは定動詞型をとる。
接尾辞型では語彙的な意味を担う動詞語幹に否定接尾辞がつき、他の文法カテゴリを補助動詞に標示する。ただし、補助動詞は省略可能である。一方、定動詞型は、否定詞に接尾辞がつかず、仮定法あるいは希求法の定動詞が続く。
それぞれの意味と例文について、以下にまとめる。
qaʔmを用いる否定文:非未来の否定
一般的な叙述文に対する否定形式である。先に記した通り、種々の標示は補助動詞 "s" になされている。ただし、未来時制の場合はこの否定を用いることができない。
χeʔncを用いる否定文:非現実の否定
定動詞型をとる否定文。未来(未実現の事柄)や反事実の否定を表すのに用いる。直説法の動詞を取ることはできず、よってχeʔncを用いる否定文において未来の事柄は希求法を用いて、非現実のものとして実現される。
zaqを用いる否定文:否定命令
イテリメン語命令文は、希求法二人称によって実現されるが、それに対する否定形式がzaqを用いて実現される。ここでも文法カテゴリは補助動詞 "s" に標示される。
wijaqを用いる否定:禁止、反事実
希求法や仮定法の補助動詞を取り、否定的内容の禁止や反事実を示す。ここで、禁止とは、zaqを用いた二人称に対する否定と異なり一般的な禁止を示す。また、仮定法を用いた反事実の表現は、「〜しなければよかった」という意味についてのみ用いられ、χeʔncを用いる否定と異なる。
下に示す例文では、補助動詞が省略されているが、これはイテリメン語の接尾辞型の否定でしばしば起こることである。
否定と現実性について: de Haan(2012)
de Haan(2012)は、現実性についての論点をまとめ、また類型論などで現実性をどのように扱うべきかについて論じた論文である。以下に要点をまとめる。
現実性について
現実性についてされてきた議論は、以下のように分割できる:
現実の/非現実の行為や事象という概念について:言語学の範囲の外の哲学的な論点
現実の事象と非現実の事象が文法的にどう区別されているか:言語学的な論点
現実/非現実の概念の区別を通言語的に比較することは可能か(通言語的に比較することが可能なようにこれらの概念について区別することはできるか):類型論的な論点
これらの論点はよく衝突し、現実性について明確な線引きを行うことは難しい。
現実性がどのような枠組みの中で用いられてきたか
類型論的に、現実性をどう扱うかの方法論については、"prototype approach" (prototype theoryに基づくアプローチ?)と、スコープを考えたアプローチの二つが挙げられる。前者は今回の議論に関わってこないので省略し、スコープを考えたアプローチについてまとめる。
否定表現と現実性についてそのスコープの階層関係を考えると、以下の2通りがありうる。
[ 否定 [ ±現実性 [ 命題 ] ] ]
[ 現実性(非現実) [ 否定 [ 命題 ] ] ]
1では、否定のスコープの方が現実性のスコープより大きいため、否定形式の下で現実性の選択が行われうる。一方、2のような場合では、否定は常に非現実である。
このようなスコープの階層関係を考えた時、多くの文法カテゴリはスコープの大小についてある程度の傾向が存在している。しかし、現実性と否定(極性)について同様のことは言えず、先に書いた1と2の言語がいずれもある程度の数存在している。
また、現実性はスコープの階層関係が一定にならないため、現実性としてまとめられている概念の意味論的特徴も言語によって異なる場合がある。例えば、習慣相が非現実を表す形式を伴う言語があるが、この場合に現実性はrealityというよりactualityのことであると考えるのが妥当であろう。
以上より、まとめると
哲学的な現実性の概念と言語におけるその表出は関係のないもの
現実性というカテゴリについて、その根本的意味を見出すことは不可能:広く類型論的に現実性を扱うことは難しい
スコープを考えるアプローチで、個々の言語や語族について現実性が何を指しているか分析することは依然として重要
である。
イテリメン語否定諸形式についての私見
イテリメン語の否定のスコープは現実性の選択の外にある
de Haan(2012)で示されているscope approachに従うのであれば、イテリメン語において否定と現実性のスコープ関係は以下のようになっている。
[ 否定 [ ±現実性 [ 命題 ] ] ]
すなわち、否定に対する下位のカテゴリとして現実性に関する形式が選択される、ということである。これは、小野(2016:246)にもあるように、否定形式には否定を単に命題の否定の存在と捉える形式(否定詞qaʔmを用いた否定形式)と、命題の非存在として述べる形式(χeʔnc、wijaq、zaqを用いた否定形式)の両方が存在するためである。
否定形式をまとめ直す
以上の議論を踏まえて、現実性とモダリティからイテリメン語の否定形式をいまいちどまとめてみる。
上に記したように、イテリメン語の否定形式には現実/非現実の選択が存在するはずであるから、現実性に基づく否定形式の分類が可能である。
ここで、現実のものとして実現される否定表現は、qaʔmのみであり、他の否定詞を用いる形式は、非現実のものとして表される。
続いて、非現実のものとして実現される否定形式であるχeʔnc、wijaq、zaqについて、モダリティの観点から、話者の心的態度を示さない場合はχeʔnc、なにかしら対人的モダリティを示す場合はzaqが、対事的モダリティを示す場合はwijaqが用いられる、という分類を提案したい。
まず、χeʔncを用いた否定形式について、小野(1995)は、χeʔncの意味を「否定的内容の推察」と記述している。私もその記述に同意しつつも、この形式が非現実としての否定について、話者の態度の表明を伴わない、ある種無標の形式として機能していることが重要であると考えた。
未来についての叙述に、命題に対する話者の推察が入るのは、極めて自然なことであり、これは他のモダリティとこれは否定命令や禁止などを示す他の形式と比べて有標性が低いように思える。
続いて、zaqを用いた否定形式は、希求法二人称すなわち命令文に用いられる。さらに、wijaqは、三人称に対する禁止、「〜しなければよかった」という文脈における反事実を示す。これらは、それぞれ対人的/対事的モダリティを標示する、と捉えることが可能である。
以上をまとめた表が以下である。
おわりに・補足
ここまで、先生が講義してくださったものをもとに、現実性という素性、そしてそれと否定形式の関わりについて考え直してきました。現実性という素性については、あまり深く触れたことがなかったので自分にとってもいい機会だった気がします。
最後までお読み頂きありがとうございました。ご意見ご感想等は、サークル公式Xまでお願いします(この記事の内容は正直自分の中でちゃんと整理しきれていない部分があるので、是非ご意見いただきたいです)。また、サークル公式noteでは冒頭に引用した記事も含めて活動記録を行っていますので、ぜひそちらもご覧ください。
参考文献
小野 智香子. 「イテリメン語の動詞の構造 ー西部語北部方言の記述研究ー」,千葉大学審査学位論文, 2016.
de Haan, Ferdinand. ‘Irrealis: Fact or Fiction?’ Language Sciences, vol. 34, Elsevier BV, 2012, pp. 107–130.
注
イテリメン語の動詞に関連する形式のうち、定動詞が典型的に持つ 「法・人称ー動詞語幹ーアスペクトーテンスー人称・数」(小野 2016: 195)の構造を取らないものを、イテリメン語研究では伝統的に「不定詞」と呼んでいました。小野(2016)では、その中でも伝統的に「第一不定詞(infinitiv Ⅰ)」と呼ばれていたものを指して「不定詞」という用語を用いています。第一不定詞とは、大雑把にまとめると副詞句を形成するような動詞の形式のことです。