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Youはなにしに博士課程へ?

はじめに

こんにちは、貧乏大学院生のぱやしです(本名が透けてわかるニックネーム)。今はちょうど修士一年の後半が始まったタイミングで、これから先の進路について考えるきっかけがあったので自分用にも、もしかしたら誰かの役に立つ用にも今考えていることをメモしておきます。

テーマを絞らないで書くといつも結論のないエッセイみたいになってしまうので、最初にテーマを決めちゃいます。今回のお題はこちら!

あなたなら、どっちを選ぶ??
A. 修士卒業後、博士課程に進学
B. 修士卒業後、ITエンジニアとして就職

(パチパチパチ👏)
サバの味噌煮缶と水煮缶のどっちが美味しいかくらい難しい二択ですね🤔 (←もっと他にあっただろ)

ITエンジニアとざっくり呼んでいますが、ここでいうITエンジニアとは『Webサイト、モバイルアプリ、ゲームアプリの開発、サーバーやネットワークの管理など、サービスを実現するための手段としてIT技術を活用する人たち』で、例えば企業のR&Dチームで新しいIT技術を研究・開発する人たちは含んでいません。というか、そういうR&Dチームは就職に博士号取得を条件としていることも多く、どちらかというとAの方に分類できると思います。

どうして博士課程に進むのか

先に言ってしまうと、自分の結論はAです。もっというと、博士号とって、どこか(研究+社会実装できるところなら企業でも研究機関でも)に就職して、メンバー集めて自分たちのサービスを展開するところまで妄想済みです。
(といっても毎年考えてること変わってるので、気分次第で変更する可能性大ですが。)

理由を一言でいうとAの方がBよりも高い専門性が身につくと思うから。

ここでいう専門性は
『全世界でN人に1人がその分野で自分と同じことができる』
ときのNで測れるような指標だと思ってください。英語が喋れることの専門度は5くらい、日本語が喋れることの専門度は80くらい、みたいな感じで、要は希少性です。
なぜ高い専門性がほしいのかというと、市場原理で動くこの世の中、専門性=市場価値だからです。市場価値が高くなると↓のようないいことがあります。
・時給労働する場合、時給単価があがる
・コンテンツを作る場合、コンテンツの市場価値があがる
・仕事以外に使える時間が増える
・世の中に貢献している実感を強く感じられる
コンビニの店員さんよりも三つ星レストランのシェフの方が高い時給をもらっているのは、からあげクンを提供するよりもフォアグラのテリーヌ(なんの料理かは知りません。今調べました。)を作るほうが高い専門性を求められるからです。
つまり、悠々自適な爆QoLライフを送りたければ専門性を手に入れればいい、ということになります。

次に、Aのほうが高い専門性が身につくと考えた理由です。
ITエンジニアは確かに専門職で、プログラミングのスキルだけでなくOSやネットワーク機器、セキュリティなど広範な分野の理解が求められます。ただし、長期スパンでみればその専門性には限界があるように思います。
その理由はITエンジニアと研究職の根本的な違い、すなわち、技術が生まれてから社会に実装するまでの過程のどこに携わるかにあります。以下のような流れを考えてみます。
1. 新しい技術が生まれる
2. 実用段階まで技術が成熟する
3. 一部のコミュニティで利用される
4. 一般に普及する
研究職とは1や2の段階を担う職業で、ITエンジニアは3と4を担う職業です。(というか、そういう風に"ITエンジニア"を定義したんでした)

社会的な意義でいえばどっちも大事な職業なわけですが、1->2->3->4という流れをたどる以上、ITエンジニアの専門性は2の枠内に収められるということになります。
たとえば、生成AIを例に考えてみましょう。まず、GoogleとかMicrosoftとかの研究者が試行錯誤の末に理論的な枠組みを発明します(1, 2)。これを社内で実装してみてBardやGPTといったアプリやAPIが公開されると、先進的な一部の会社が取り入れはじめ(3)、時間をあけてより多くの会社へと利用が普及していきます(4)。このときITエンジニアがするのは公開されたサービス(APIやOSS)のドキュメントを読み、作りたいプロダクトの仕様に合わせて実装するという仕事です。このとき、どんなに優れた技術者でも、サービスの仕様を超えた実装はできません。もし、サービスの仕様を完全に理解し使いこなせる人が1000人いるとするなら、専門度は800万が上限になります。それ以上のことを実現しようとするならサービスの向こう側、つまり機械学習モデルの改善を研究することになります。

一方で研究職の専門性の上限は科学の限界そのもので、『この研究分野では誰よりも詳しい』状態(←言ってみたいセリフ No. 7)になれれば専門度は80億になります。

持論の展開はさておき、実際のデータをみてみましょう。専門性とは市場価値だとお話しました。調べたところ、USでのITエンジニアの平均年収が$86kなのに対し、PhD保持者の平均年収は$102kみたいです。とくにCSは年収がバグっていて平均で$139kで、聞いた話では、PhD取得後の新卒は年収一億円超えすることがあるらしいです。ひえぇ。
※ちゃんとは調べていないのでミスリーディングな比較だったらごめんなさい。
※ほんとは話の流れ的に上限値を比較したかったんですが、すぐにはデータが見つからなかったので平均の比較にしました🙏

おっと、研究職>ITエンジニアみたいなことを言ってしまいましたが、そんなことはないよ、ということも何点かお伝えしておきます。
・ITエンジニアでも会社に雇われるだけじゃなくて、フリーランスになったり自分のサービスを公開すればすごい年収になったりする
・そもそも、年収は400万くらいあればそれ以上はいらない気もする
・どっちの職業も十分な専門性があるんだし、仕事内容が好きな方を選ぶのがいいと思う
・IT技術的にはもう素晴らしいものがたくさんあって、でもまだまだ活用されていないところ(確定申告の完全自動化とかほしいよね)をみると、むしろDXをすすめてくれるITエンジニアの方が社会に必要とされている、っていう考え方もできそう

さて、ここまでの主張をきれいに相殺してしまったわけですが(汗)、、(←弁証法だと思ってください)(←すいません、ほんとは話の流れを考えてなかっただけです)
それでも自分が専門性にこだわり、Aを選びたいと思う理由はちゃんとあります。

①この先、今よりももっと専門性が求められる時代になっていく

現状では、ソフトウェア開発は十分に専門的な作業で、AIがコーディングを支援することはあっても、「インスタグラムつくって〜」といってAIにそいっと作ってもらうことはできません。けれどもそれは今が過渡期だからに過ぎません。プロンプトでサービスが作れるようになれば、それまで積み重ねてきたプログラミングのスキルは不要になるかもしれません。新しい職業が生まれるにしても根本的なリスキリングは避けられなさそうです。
もちろん、研究職も例外というわけではないですが、どの研究分野でもAIに任せられるという段階はシンギュラリティとほぼ同時、すなわちもうちょっとだけあとになるでしょう。それに、研究の過程で学んだ理論は、個別のサービスの仕様とは違い普遍的なもので、無駄になりづらいといえます。

②超すごい技術を特等席で遊びたい

さて、「もうなんでもAIにやってもらったほうがいいや〜」という時代が来たとしましょう。次々とすごい発明がなされていきます。飲んだら暗闇でぼんやり体が光るようになる薬とか、爆笑漫才100連発とか、、(←もっと他に(以下略))
その中には理解するのが難しい技術も含まれているでしょう。そんなとき、専門的な知識があればあるほど使える技術の幅は増え、自分で改造だってできちゃうかもしれません。言い方を変えれば、高い専門知識をもつことで、たくさんのドラえもんの道具で遊ぶことができるんです。
また、「もうなんでもAIにやってもらったほうがいいや〜」時代といえど、人間の創作には価値があります。それは「その人が作った」という事実に由来する価値です。例えば、AIに描いてもらったすごい壮麗な絵と、絵画初心者の友達が頑張って書いてみた似顔絵。後者が劣っているなんて言えるでしょうか。自分は友達がどんな絵を描くのか結構気になります。つまり、仲間内で作品を作って見せ合うという遊びはいつの時代も楽しめるんです。
そんなとき、多くの技術を使いこなせる専門性は創作の幅を広げてくれるはずです。
③ビジネスチャンスにとびつきたい
シンギュラリティ云々は抜きにしても、とかく今後もすごい技術はどんどん出てきます。そして、多くの人にとって未知の技術が実用化され始めるタイミングは、その技術に精通している人たちにとってのビジネスチャンスになります。
例えば量子コンピューター!(←ここぞとばかりに自分の研究の話をもちだす) 今はまだ赤ちゃんみたいなマシンですが、エラー訂正ができるようになって、扱える問題のサイズも大きくなれば一気に実用的な活用例がでてきます。何年もかかっていた創薬のプロセスを一週間で終わらせちゃったり、飲むだけで室伏広治さんみたいになれるナノロボットを作れちゃったり。大ビジネスチャンスです。大学の名前に量子をつければ助成金がたくさんでるような時代になります。東京量子大学みたいに!まあ、そこまでにはならなくても、量子人材が社会に求められるタイミングで「あ、僕量子コンピューティングでPhDとってます」状態になっていれば、価値あるサービスを作るのに大きなアドバンテージになります。

おわりに

いろいろ書きましたが、結局Aを選んだのはそっちのほうがわくわくするからです。ここまで書いたことはそのわくわくの後付けの理由です。
人によって何にワクワクするかはいろいろだと思いますが、この記事を書いていて自分はこういうことにワクワクしているんだと改めて実感できてなんだか嬉しかったです。(自己満足かい!)
ここまで読んでくれた皆さん(と何年か後に読み返している自分)も、各々納得できる道を選べますように!

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