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毎年この時期になるとあの震災のことを意識せざるを得なくなる。

私は99年生まれで、直接被災したわけではないが、物心ついたときから震災についてさまざまに教えられて育ってきた。見覚えのある場所がものの数秒で崩れていく様子は、動画でみただけでも怖かった。また地震が来たらと思い眠れなくなったことも一度や二度ではない。

ここ数年は神戸を離れて暮らしているけれど、大学生になって行動の自由もきいてきたので、東遊園地の追悼行事に行ってみようと思っていた。去年と一昨年はバイトや授業なんかで都合が悪く、次こそはと考えていたものの、こうした状況なのでまた無理そうな雰囲気だったので落ち込んだ。

ある災害に遭い、いま私が住んでいる地域に移住してきたという方々がいる。数年前から交流があったが、今年は特に交流が多かった。夏には、国や某企業を相手にした裁判の傍聴にお誘いいただき私も参加した。その関連で「あのお寺で毎年追悼をしているよ。今年もやるみたいだ」と教えてもらった。特に被害もなかったであろうこの地域でも追悼行事がされているなんて知らなかった。朝早いので、お願いして、車に乗せて一緒に連れて行って貰えることになった。

書くのが面倒くさくなったので、以下テキトーに今日の出来事や考えたことなど箇条書します。

(1)被災はその当日だけのことではなくて、その後の人生を変えてしまうものなのだということ。今も「被災」し続けている人はたくさんいる。
(前述した裁判に行く道中で被災した方々の体験記を読んだり、被災者の方がポロッと言った「こんなはずじゃなかったのに」という言葉を聞いたこと、また神戸市における被災者の住宅問題から)

(2)ある災害を伝承しようとするとき、それを被災した地域・人だけに背負わせてはいけない。

(3)余裕がなくて、亡くなった方々のぶんも…と思えない人もいる。小学校でよく↑のような歌詞のある歌を歌っていたけど、当時は家がめちゃくちゃ(虐待などで)で、なんで震災で亡くなった人のぶんを私が生きねばならんのだと思っていた。あの歌自体を嫌いというわけではなかったが。

(4)大学の友達は神戸に何のゆかりもなく、関係ないものとして扱うことは容易なはずなのに、一緒に来ていた。彼らが何を考えたのかはよくわからないけど、朝早いのによう起きたな…

(5)なんで追悼行事に行ったのか:単純に今まで行事を知らなかったが今年はじめて知ったので、と言う説明もできるけど、たぶん決定的なのはそこではなかった。今も苦しんでいる人がいるんやと強く意識することが今年になって多かったから。

(6)もう26年、まだ26年捉え方はさまざまだけれど、26年前に災害に遭って、今も生活再建途中のひとがいて、活気が戻らない街があるという事実はもっと意識されるべきだと思う。

(7)苦しみは比べるものではない。自分の苦しみは自分のもの。

以上です

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