pavlog
毎年この時期になるとあの震災のことを意識せざるを得なくなる。 私は99年生まれで、直接被災したわけではないが、物心ついたときから震災についてさまざまに教えられて育ってきた。見覚えのある場所がものの数秒で崩れていく様子は、動画でみただけでも怖かった。また地震が来たらと思い眠れなくなったことも一度や二度ではない。 ここ数年は神戸を離れて暮らしているけれど、大学生になって行動の自由もきいてきたので、東遊園地の追悼行事に行ってみようと思っていた。去年と一昨年はバイトや授業なんかで
*サークルの回想で書きました。着地点は愛についてではない。 最近、愛について考えている。数ヶ月前にトルストイの『人はなんで生きるか』で「人は愛によって云々」と書いてある部分を読み、そういえば日本人は「愛」を理解できるのだろうか、と疑問に思ったことが発端である。私の親はキリスト教で、自分も教会に通っていた時期もあり、西洋的な「愛」を多少理解しているつもりだが、このような経験がなければ理解できないのではないかと思った次第である。 その後、特に「愛」について掘り下げてはいな