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26年目の今日に思いを馳せる

今日一日、このテの記事は他にも公開されるだろうし、その中で特別なものを書きたいとは全く思わない。だから、ありふれた話、あるいは個人的な話だけになるかもしれないけど、書かせてください。

阪神淡路大震災から26年。関西育ち・関西在住のわたしの話です。

わたしは春生まれだから、月齢としてはわりと大きくなっていたけど、自分の学年の中には、震災前後に生まれた子もいます(noteでは年齢初公開ですね)。
当時わたしは母の故郷のほうにいて、揺れを経験していない。

同じ地域で生きる同世代でありながらも震災を知らないのは、なんだか経験不足な気がして、高校生くらいまでは、この時期になると複雑な心境になることも少なくなかった。
大学でいろんな地域の子と出会ってようやく、揺れを知らなくても引け目に思う必要ないって思えたっけ。

ちなみに東北で揺れた日は、ほんとうは修学旅行だったけど、諸事情により参加せず、自宅にいました。
揺れてすぐテレビをつけても東北が震源のニュースしか流れてなくて、母とふたりで「まさかねぇ…(この遠距離で揺れるわけないし、かと言って同時に関西震源の地震も起きてたと考えると怖いし)」と話した。前者だったわけですが。

もし修学旅行に参加していればその頃わたしは沖縄にいるから、揺れずに済んでいた。でも、そしたらきっと、またしても地震が他人事になっていたんだろうな。

揺れを経験したから偉いとかそんなことを言うつもりはないし、誰もが揺れたくなんてないのはわかっている。ただ、この地震大国において大きな揺れを経験していないのは、ちょっぴり無責任なような気がしていた。関西に住んでいながら、阪神淡路大震災の揺れを知らない身として。

どんな地震でも、震源地に近い人が一番たいへんな思いをしているはずだけど、東北の地震に関しては、関西でも充分こわかったです。
というか、震度は震源から遠いほど小さいわけだけど、逆に言うと「震源から遠いのにこれだけ揺れた」っていう怖さがあったかも。その観点で絞れば、かえって関西勢のほうが恐怖を覚えたのかもしれない。

避難所での密集を避けるのは至難の業だろうから、当面は何も起こらないことを祈るに限る。

七志野さんかく△


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