ソロモンの二段階説

大学の授業で、マズローの欲求段階説とかを習った時(「承認欲求」とかのやつですね)に、「がん患者の心理の遷移」というのも一緒に教わった記憶がある。あれはなんだったか、とググったら、「キューブラー・ロスによる5段階モデル」とかいう名前がついているものだった。すごく有名な話だとは思いますが、5段階とはこれ。

「否認」→ 「怒り」→ 「取引」→ 「抑うつ」→ 「受容」

がん告知をされた人間は、キューブラー・ロスさんによると心がこのように遷移するんだそうですよ。

さて。ソロモン諸島に来てあと1週間くらいで3ヶ月です。ちょっとした節目ですね。これまで先進国でぬくぬくと暮らしてきた上に、人よりも慈悲の心が大幅に欠落している人間、アフリカの恵まれない子供系のチャリティーとかに募金するどころか積極的に「知るか!アフリカは甘え!」と唾を吐いてきたような人間が、まさにそういった先進国の好意と尽力で成り立っているに等しい第三世界に移り住むことになり、気持ちはどのように遷移していったかを書いていい時期なのではないかと思ったので書きまーす。

キューブラー・ロス風に言うと、「順応」→「否定」。今、否定の時期です。これから先気持ちが更に遷移していく可能性は全然ある。

「順応」、というのは、まぁ要するに、状況を好意的に受け入れようとする心理的な働きです。ブリスベンの搭乗ゲートで色黒の人たちに囲まれまくることに始まり、ソロモン諸島の社会、町並み、人、食事、本当に何もかもが新しい事だった。私は、これまでの人生振り返っても、新しいことは「脅威」ではなく「刺激」と見なすタイプの人間だったので(まぁ、そうじゃないとこんなところおらんわな)、「わーなにこれ、わーすごい、わーうけるー」みたいな感じで、日々瞳孔を開かせながらその刺激を楽しんでいました。メルボルンに残してきた友達に「やー食べ物おいしいし、なんかやっていけると思うわー」とかLINEで言ったりな。

それも別に嘘ではないんだけど(食べ物はほんまにおいしい)、でもやっぱり「住むからには都にしなければならないのだ」という暗示を日々かけていたなぁ、と言わざるを得ない。あまりの世界の違いに戸惑いも覚えたし、フラストレーションも恐怖もあったのに。でもそういう負の感情を自分の中に認めることは、目下建立中の「都」に自らコンクリート塊を投げて壁に大穴を開けるような行為に等しかったので、「私ったらどうして鉢植えをコンクリート塊だと思っちゃったのかしら!これから素敵なお花を植えるんじゃない!」ってな具合で、自分の感受性のほうを矯正しようと頑張っていた。

来た当初、旦那に「この国ではunlearnしなければいけないね」とドヤ顔で語ったことを覚えている。これまで先進国でぬくぬくやってきながら凝り固めてきた常識や価値観は一旦捨てなければならないと。「第三世界でも飄々と生きていけるかっこいい私」、という理想像があって、そのためにはまずこの国をポジティブに受け入れ、自分を順応させることが必要だったわけです。

Unlearnしないといけないってのは今でもそうだと思っとるんだけど、それは典型的「言うは易し」なことに気づき始めたのが最近。絶対に譲れない自分の性分というものがあって、「第三世界でも飄々と生きていけるかっこいい私」を演出したいがために手放すなんて無理なことがだんだん出てきた。それは特に、「儀礼的無関心の尊重」と「美容」と「健康」です。

儀礼的無関心ってのは、例えば朝バス停でバス待ってます。そしたらサラリーマンが来ました、一緒にバス待ちます。だけど突然サラリーマンが「ハッ」として、バス停を去りました。そしたら、まぁそのリーマンを一瞬「どしたんや」と見るけど、「多分家に忘れ物してきたんだろう」とか思ってあとは関心のない振りを「してあげる」じゃん。これが儀礼的無関心。

これがソロモン人、全くない。珍しいものガン見文化。例えばそう、アジア人とかね!!

…私これ耐えられそうもない。来たての時は、「よそ者でーす!どうぞよろしくね!」だったけど、もはや今では「慣れろやボケ」としか思わない。できれば挨拶もしてほしくない。

挨拶ってのは「私はあなたを認識しましたよ」の表明で、この国ではそれは圧倒的に礼儀正しいことなんだけど、「私はあなたを認識していないふりをしますよ」も、国によっては礼儀正しいことな場合があるんよね。これは面白いですね。

健康に関しては、まぁこれは単純に、マラリアとデング熱の感染地域に誰が好き好んで住みますかという話ですよ。あと蚊に刺された跡のせいで足首が本当に目も当てられないことになっとる。もう無理。お嫁に行けない。

以上が、最近私の心から生成された「否定」です。

書きながら思ったけど、否定というよりは、眼鏡の曇りが晴れただけのような気もする。誰だってガン見されたくないし、マラリアを患いたくないわな。こないだまでの私は、明確にクソであることさえも無批判に受け入れようとしていただけのような気がしてきた。

否定的な気持ちが生まれてきて、「さすがの私も第三世界はギブアップだったか」、と少々悔しい気持ちになっていたけど、一つの国としてフェアに批評できるようになり始めているってことなのかもしれない。初期の頃の私は、この国に媚びようとしていたのかもしれないなぁ。

ということを考える12月のある日でした。犬の遠吠えがうるさい。


PS. アフリカにはびた一文募金せんが、ウィキペディアとか乳がんには募金するど!!ちょっとだけね!

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