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熊野紀行その1 ~経緯~

さて、何処へでも行ける新しい相棒のRallyを迎えるにあたり、その可能性にこれまで封印していた想いが蘇ってきた。
Rallyな記憶への回帰だろうか|岡ぴよ (note.com)

「いつか行きたかった熊野詣は今しかない!」

はじめはRallyに乗って一人で行こうと考えた。
が、結果的に車での家族旅行に変更。

伊勢参りの方は過去に二度。
ちなみに二回目は平成26年の遷宮直後、平成天皇のご参拝と重なった。
それはそれで意味があったのだと思う。
熊野詣は行者の道。
子どもたちが小さいうちに行くには少し無理があったからこその今。

熊野……私の場合は熊野と言えば那智の滝だった。

思い返せば13歳のころ。
当時流行していた(らしい)宇宙皇子の小説(はじめてマトモに読んだ本)に登場した、主人公含め行者たちと役小角。
中学の教科書に写真が載っていた、役小角が法力で造ったといわれる投入堂。
自分でもよくわからなかったが、本に出てくる行者たちに心魅かれた。

高校生になり、原付の免許をとると、小学生のころに何度か遠足で訪れた、素戔嗚尊由来の小さな滝に通った時期もある。
高2の時に見つけた瀬戸内海を見渡すいくつかの岩山の頂上は、だいたいどこも行者の修行場であった。

中型(普通)自動二輪免許をとってからは、強く印象に残っていた投入堂を訪れ、感動に打ちひしがれた。
気づけば眼下を見渡す静かな景色(概ね行者の修行場)と滝が大好きで、そのために単車に乗り続けていた30年間。

修験道と滝に対する、理由のない憧れのようなものが常にあったのだ。
その果てにあるのは、熊野三山那智大社近くの那智の滝しかないでしょう?

それらを後押ししていたことがもう一つ。
亡くした長男、遼は「そりゃ、かみさまとお話ができるよ?」言い放ち、2歳のときに、「えっとぉ、お話しするかみさまは雲の上に住んでいて、名前はくまの女王で龍! 十人のこどもたちがお世話してる!」と。

そりゃ、行くしかないでしょ(笑)

つづく……

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