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光×光

轟音をあげて一直線に飛んでいく隊列が、
びっくりするほどかっこよかった。
雲で繋がれた空が美しかった。
見上げる人々の姿を、ただ愛おしいと思った。
見ず知らずの誰かのために一生懸命、
様々な形で時間を使った人々がいる。
無駄な日など1日も無く、皆誰かの為になっている。

ブルーインパルスを初めて見て、そんなことを感じた。

空港、そして、飛行機が大好きだ。
好きすぎて、電車で空港まで遊びに行くという
習性の話(ちょっと長いです)。

空港は多くの場合、移動するために行く場所だ。
目的地へ出発し、到着するためにある場所。
誰もがそこを通り過ぎ、ほとんど留まらない。
異空間というか、未知なる場所への入り口のような、
非日常的な存在感が好きだ。

利用者は、手荷物の預けや検査など、済ませることが様々ある。食事したい人もいる。皆ばらばらの事情をなんとか合わせ、定刻までに搭乗しなければならない。

これから空を飛ぶのだ。
人々はどこかへ行くという前進の気持ちと、ちょっとの間だけ人間離れすることへの、緊張感を持っているように見える。

第2ターミナルの上階にあるカフェでおやつと飲み物を買い、展望デッキでひたすら離着陸を眺める怪しい女が居たら、だいたい私である。何故こんなことが好きなのかと考えてみたら、思い当たることがあった。

私が生まれた頃、故郷には空港がなかった。
地元の「庄内空港」は、1991年10月1日に開港した。
その翌日に、弟が誕生する。

弟が生まれるまでの間、身重の母は、私と遊ぶのが大変だったのだろう。その頃の休日といえば、父と出掛けることが多かった。運転が大好きな、車オタクな父(当時オタクという言葉も知らなかったが)。
まだ甘えたい盛りの私を、いろいろな場所へ連れ出してくれた。海、滝、山、ゴルフ練習場、ラーメン屋、ただのドライブもいっぱい。
中でも楽しかったのが、空港の建設地だった。
「ここに空港ができるんだよ。」
「クーコーって何?」

少しずつ設備が出来てきて、開港前の頃になると
周辺に大きな公園と、アスレチック広場ができた。バーベキューなんかもできる、最高の場所である。
公園は滑走路に沿って長く作られており、端から端まで遊び回った。自転車の練習もした。
父は大変だったと思う。だけどきっと、もうすぐ弟が生まれるから、その分いっぱい遊んでいっぱい甘えさせてくれたのだ。その頃の写真がいっぱい残っている。

やがて空港が完成し、弟が生まれてからも、何度も連れていってもらった。大きな音を立て、信じ難い大きな力で、鉄の塊は宙に向かって飛び立っていく。
「あのヒコーキどごさ行ぐな?」
「羽田空港ってゆう、すーんごいでっかい空港。」
あれに乗りたい。すぐにそう思った。
この時期があったことが、間違いなく今の私の習性を作ったといえる。

これまでも、足を伸ばして調布飛行場まで行ったり、マロウドインターナショナルへ1泊し、2日間かけて成田空港周辺と、飛行機の離着陸を浴びまくるなどした。

ただただ、自己満足の塊だが、楽しい、面白いと感じる心には1つずつ何かしらのルーツがあり、それが心を豊かにしてくれている。父さん母さん弟よ、奔放な姉はこの通り元気です。昔と変わらず、口を大きく開けたまま、アホ面で空を見上げます。
こんな人生をありがとう。

見たことの無い景色も、感じたことのない素晴らしさも、きっとまだまだ、たくさんある。

わくわくしながら生きていたい。

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