描かれるカレー

なんだかんだ3年連続でカレーの学校アドベントカレンダーへ投稿しています。13期山本です。
今年は漫画や映画など表現のなかで描かれるカレーについて書いてみようと思います。

紹介する作品は2つ、漫画「メタモルフォーゼの縁側」と映画「子供はわかってあげない」。ちょうど読んだ・観たばかりで、感じたてホヤホヤの文章です。粗いところもあると思いますし、ストーリーの内容にも触れますので、未読・未鑑賞の方で気にされる場合は、ご注意を。気にされない方は、よろしければお付き合いください。

漫画「メタモルフォーゼの縁側」(映画化もされているが未鑑賞)は、老婦人〈市野井雪〉と女子高生〈佐山うらら〉が、BLという共通の「好き」を通じてつながり、またそのつながりの中でお互いに起こる心の変容が描かれる物語です。カレーが登場するのはほんのわずかですが、そのささやかなシーンで、表現のなかでカレーが描かれる意味を考えさせてくれます。

75歳でBL漫画の魅力に気づきはじめた雪が、ふとしたきっかけでBL趣味のうららと知り合い、オススメのBL漫画を借りる回。雪は自宅にうららを招き、カレーをふるまおうとする。
うららは、いつか好きなもので誰かと語り合いたいと思いながらも、BL好きを公言したことがなく、雪との出会いに嬉しさと戸惑いを感じている。過激な描写のあるBL漫画を58歳も年上の人にどう勧めたものか、またせっかく興味をもってくれたBLを嫌いになったりしないか。複雑な気持ちを抱きながら、雪の自宅を訪ねる。
雪の家に着くとうららは、「あ、カレーの匂い・・・」と心の中でつぶやく。インターホンを押すと、雪は縁側から入ってくるようにうららへ呼びかける。居間に上がったうららはオススメのBL漫画を一通り紹介した後、なんとか勇気を出して「過激な描写もあるから嫌だったら読むのをやめてください」と、これから好きをわかり合うために言わなければならないと思っていたことを雪に伝える。

当然、紙面やディスプレイからは感じられないけど、二人のやり取りをつつむカレーの匂いを想像してみる。すると些細な居間の描写のコマからも何かあたたかい空気を感じられる気がして、そうした雰囲気がうららの心を解きほぐし、後押ししたのもしれない、とも思えてくる。ふるまう料理がカレーであってもなくても物語の大筋に影響はない。でも、やっぱりカレーがあることで、このシーンはなりたっている。食べるカレーは主役級の存在に感じますが、表現のなかでは名脇役もこなせる器用さを見せつけてくれます。

そして、もう一つの作品は映画「子供はわかってあげない」(原作漫画がありますが未読)。主人公は、水泳に打ち込むアニメ好きの女子高生<朔田美波>。学校でも家庭でも楽しくしあわせな日々を過ごしているけど、今の父親は母の再婚相手で、幼い頃に親が離婚して以来会っていない実の父親がいて・・・というストーリーです。

カレーが出てくるのは物語の終盤、ある二人の別れの場面。お互いわかり合えたようなうれしさを感じると同時に、もう会えなくなるかもしれないさびしさも訪れる。そんなせつないシーンで二人の最後の食事になるのがカレーでした(実際に食べるシーンはないですが)。

カレーが描かれる映画に詳しい人に話を聞いたら、邦画では「カレーは涙や別れとセットで描かれる」のがひとつの伝統になっているそうです。なんとなく理由を考えると、みんなに愛されるカレーはいわゆる「陽」の料理。だからこそ逆にかなしさやさびしさ、せつなさを誘う場面でよりそれらを引き立たせてくれたり、登場人物の心情に複雑さや深みをもたらしてくれるのかもと推測します(スイカに塩をかけると甘みが増す的な感じで)。

ちなみに邦画でカレーが意味をもって描かれるようになったエポックメイキング的な作品は、1949年に公開された「破れ太鼓(監督:木下惠介)」らしいです。観たことがないので、今度鑑賞してみようと思います。もし観たことがある方は、ぜひ感想を教えてください。

食べるカレー、つくるカレーだけでなく、表現のなかで描かれるカレーに着目する。そんなこともこれからのカレーの楽しみ方として意識してみようかなと思います。
そんなわけで、何かオススメのカレー作品があれば、ぜひお教えください!


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