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「天地創造」の神の不在

『奇跡講座』実践者のSakieです。

結論からお伝えするなら

「この二元の世界は

神が創造したものではない」ということ、

その点について、解説します。

『奇跡講座』の思考体系、理論構造において

神を擬人化して

神話的に「天地創造」について語られている

部分のその意味を、解説することで

今現在の日本の『奇跡講座』学習者の皆さんの

形而上学への知的理解が深まればと思います。

この二元の世界は全て

私たちが「小さな狂った考え」で

でっち上げた「神の愛の代替、パロディ版」です。

至る所、偽物ばかりであり

愛のない世界であり

一言で言うなら

「特別性」を何よりも大切にする

個人的な成功や

個人的な愛や

個人的な夢の実現や

個人的な繁栄 etc...

が、何よりも大切な世界です。

その達成のためなら

「殺るか、殺られるか」

「奪るか、奪られるか」

「私が勝てば、あなたは負け」

one or the other

という完全に二元性そのものの世界です。

ここまでは、とてもよくわかっている

『奇跡講座』学習者の方が

多いように思います。

そして、この二元性そのものの、物理世界を

変えようとしないこと(すでにシナリオが完全に書かれており、そのシナリオ自体を変更することは、理論上、絶対に無理なのです)はとても大切

という部分も、とても大切にされていると実感していますが、

ただし、この部分の

世界に対する私の見方を変える

という赦しの実践において

聖霊の心眼で

[あるがままを見てあるがままを受け入れている状態]=[クリアな思考で考えている無念無想の想念の状態]について

誤解釈がされていると思います。

なんちゃって[聖霊]

なんちゃって[愛]

なんちゃって[光]となってしまっている

実践をしている皆さんが多いと言うことになります。

この部分については、また後日解説しますね。

本題に戻って

今日は、どうやって誰が二元の世界を作ったか?

「天地創造」として

擬人化した比喩表現で言うなら

とても重要なのが

「この二元の世界をでっち上げたのは、

たった1人の神の子である、つまり、心である

自分自身=私たち自身の

小さな狂った考えである」ということです。

個人の肉体と完全に同一化している

「私は心であるという自覚が全くない」私たちが

つまり

「個人の私」たちが「個人の人生」をそれぞれに

でっち上げたり

「個人の私」たちが

「二元の世界、混沌の宇宙丸ごと」を

でっち上げた、という意味ではない

そう言うことを言っているのではない

ということです。

それは、すでに始まりから終わりまで

シナリオが書いてある

終わった夢の世界でありイメージの世界です。

ですから、

「個人の私が、、、この二元の苦しみの世界を作った、、、

何てことしちゃったの、、、」

という自己責任であるという理解や

解釈は、間違いである、ということです。

この「天地創造」の部分は

「原初の間違い」について

神話的に語っているのです。

「神と神の子の分離」の部分の

たった1回のたった一瞬の

分離が起こったように

「私たち」が間違って信じているということの

比喩表現となります。

一なる心が「私が父 or 母(神の子の親としての神)の元を、

離れたら、どうなるんだろう?」

と、小さな狂った考えで夢想した夢の世界が

ここだということです。

この部分が誤解釈となれば、

その後の赦しの実践は

ほぼ完全に間違った取り組みになってしまうでしょう。

ですので、

とても重要で注意深い考察が必要な

大切な部分ですので、

もう一度、解説します。

ニューエイジ的な発想となれば

この物理世界を救う救世主に「個人の私」が

ならなきゃ!(正義感に燃える感じ)

責任重大だ!とんでもないことをしてしまった!
(この世界の罪の全てを背負って重たい十字架を1人で背負っている感じ)

と、小さな狂った考えを深刻に捉えて

個人の自分を責めるというループに嵌ります。

そして、個人の自分がその償いをしなくてはならないようなことなのだ、と輪をかけて間違った解釈はされ続けていきます。

ケネスワプニック博士は

『奇跡講座』を書店の

ニューエイジの本のコーナーに入れないように、と

求めています。

つまり、ニューエイジ的な誤解釈が起きやすい

言葉遣いであることや

既に至る所で誤解釈が起きている

ということは重々承知していながら

でも、「そうではないんだよ」

ということを

優しく誘うように

だけれど

妥協なく

その真髄を

何度も何度もテーマは変えながら

同じことを解説してくれているということです。

この物理的な二元の世界では

原初の間違いの瞬間に

既に書かれたシナリオ通りに

混沌の法則と束縛の法則に則った

出来事が起きます。

起こることが起きます。

ただし、私たちは

この世界で起こることを変えようとするのではなく

この世界で起こっていることへの

私たちの心を変えて

見方を変えていくことができる手段を持っています。

それが『奇跡講座』が教えている

「真の赦し」という手段です。

戦場を超えたところから

聖霊の心眼をつかって

優しい慈愛の微笑みを浮かべながら

その世界を“真に”望んだ通りに

見たかった「実相世界」を、一緒に見ましょう。

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