ギュースクル物語 第三話
中学卒業
涙脆い私は、泣く覚悟で卒業式に向かいました。
最後の歌を卒業生が歌う中、チラリと虹郎を見ると先に泣いているではないか!
そして自分も泣きました。
地元の高校へ進学
その春休に自分は夜行バスで東京のホコ天を観に単身行きます。
ビジュアル系、ロックンロール系、シマシマ系
ロンT系、1989-1990
原宿はタレントショップやら、ビジュアルバンドショップやらで凄かった。竹下通りでエメラルドグリーンの腰にかける飾りを買ったのは覚えてるます。凄い人混みだった。
1990年ですね、虹郎はバーテンダーへ
高校1年
それぞれに道は別れて行く、雪の日に虹郎の家まで行って、いるかいないか分からない部屋に向かってどうしようも無い気持ちを抑えたな。
自身もドロップアウトしようかと思い、親に話したら母親が飛んだから、通う事にしました。
自由とはなんだろ、縛られるものからの解放なのか
髪を伸ばせない悔しさ外は大雨、自転車でずぶ濡れになりながらあてもなく走った。畑の真ん中で傘を折り、天を仰いだ!のを覚えています。
この先の音楽人生は長い。
今出来る事をやろうと帰宅、ロックオタクギター野郎へ。
ギターを習いに行き、地元の楽器屋に通いバンドの知識力を高めていきます。
ギターの先生はインギーでしたからね。
早弾き時代ですよね。
そんなのは弾けないから挫折ギリギリ。
パンク、プログレ、LAメタル、エアロスミス、ハノイロックス、ストゥジーズ、ベルベットなど聴いてたかな。ハードロックはおしまい。
その楽器店にスタジオがあってよく遊びに行ってました。
ある店員さんが閉店した後にバンド練習していて、そのバンドがよく今池ハックフィンでライヴやってて、そのバンドのギターの人からドアーズを聴いたらと言われ2枚組のベストを直ぐに買いました。今でもドアーズはバイブルですね。
高校3年
この頃、土曜の朝起きると部屋に虹郎が居る時が何回か続きました。虹郎はバーテンダーでしたから朝帰りにウチに寄るという話。
虹郎とのバンド、"パワージャック"(スティッフのコピーバンド)を経てサティスファイド結成へ
東京に行く勇気が有りません、名古屋で音響の専門学校へ進学。卒業制作で虹郎とレコーディングした作品を提出
1993年
スラッシュメタル、グランジ、メロコア、ローファイ、テクノ、クラブ、アシッドジャズ、レゲエ、スカ、ミックスチャー、ロカビリー、ブランニューベビーズ、ニルヴァーナ、レッチリ、ビョーク、ピースティーボーイズ、スイサイダルテンデンシーズ、ソニックユース、ジョンスペンサーエクスプロージョンズ、ジュリアナハットフィールド、メタリカ、ハーフジャパニーズ、サブポップ、タワーレコード,名古屋バナナレコード、サウンドベイ(短期バイトしてた)視聴しまくりでした。
ケミカルブラザーズには未来を感じました。
あれは確か、1995年の夏のような気がします。
うすら覚えですが、虹郎から『ギュースクルだよ』と言われた気がします。
全てはギュースクルだて、、、。
1996年 22歳
それから確か前園さんのマイアミの奇跡を車の中で聴いたの覚えています。
虹郎とバンドやってました。
“サティスファイド”
兎に角その時はグランジ的にやりたかったですね。解散
1997-1998
"ブロントザウルスフライヤーライン"
年上の方達、サイケ、70年代カリフォルニア系
はっぴぃえんど
トモトンと知り合う
解散
"みつあみパンダ"
虹郎ドラム、Bクミさん ニューウェーヴ ジェイムスチャンス&コントーションを教えてもらう
解散
1999-2000
"トリップアップ"
Drブラジル人アキラ、EPトモトン、Bウエノマン ファンクロックオーバー?
解散
この時の自分は根拠のない自信に満ち溢れていました。音楽の沼にハマり抜け出せないでいました。ブラジル音楽と出会い無知を知り覚醒を目指す。
ロックにサヨナラして、ワールドミュージックやフリージャズに傾倒
オルタナなどのハードなロックなどCDを殆ど売る
マイブラ(ラブレス)は売らなかった。
2001年 27歳
東京都杉並区高井戸
スタジオのメンバー募集、PCが無いのでネットカフェで東京をスタジオをやなんやかんや調べました。あの頃は結構バンドブームが未だ盛り上がってたと思います。井の頭線なので渋谷、下北沢、吉祥寺は刺激的でした。
下北沢は練習や呑みで良く居ましたね。
この頃、ギュースクルとは何かを考えていました。先ず私は無知でしたから勉強が必要でした。岡本太郎の本を読み芸術をしります。
前衛芸術、ギュースクル、インスピレーション
ギュースクルは芸術だったかと思いましたが虹郎に言わせれば宇宙が既にギュースクルだといいます。ズルイ
マリーザモンチ、オーネットコールマンプライムタイム、ジョイス、ジプシーキングス、トータス
ライヒ、マイルスデイビス、マサカー、ジャコパス、デレクベイリー、ネイキッドシティなど
音楽、芸術にギュースクル
アートギュースクル
2002-2003年
"ストレンジイエローサン"
大石君の存在バンド
2003-2004年
brig集団即興高野山ライブ
H氏と即興ユニット荻窪グッドマン
ガットギターを入手
2003年
ミルトンナシメント来日
2005年
トータス来日
カェターノヴェローゾ来日
帰郷 31歳
コーヒールート営業
虹郎と再びギュースクル
この頃ギュースクル眼鏡をかける、虹郎と名乗る
GYUSKUL
2009年夏35歳
刈谷オアシス野外GIGギュースクル
またしても虹郎とお別れ
2009年秋
再東京へ
毎年恒例元旦ギュースクルセッション開始
作品はHP
DTM(Ⓜ️BOXprotools)
ギュースクルの編集もやってました。
シリアスから笑い、そして芸術。
ギュースクル
ギュースクルとは何かって、それは虹郎の人生なのかも知れません。
ひょっとしたらギュースクルとは私の事だったのかも知れない。
2010年 夏
ミューさんとロンギヌスと阿佐ヶ谷で会う
月刊”プレスターズ”からザプレスターズへ(アコギユニット)
2011年
2013年ヘレニズジカ発表
ヤーゴマンフェニックスと会う
ヨシエさん、ヤーゴマンフェニックスプレスターズ加入
プレスターズ三位一体へ
2016年
レディオヘッドを知る
サマソニ
logicに変える
2017年
ヤーゴマンフェニックス、グリヤマ
みょうがの忘れ物
オルタナティブの風
過去のロック
ニルヴァーナ、ピンクフロイド、オルタナミュージック、ソニックユースのアルバムを再集しだす
マイスパレード、NIN、レディオヘッド
NONJI作品
2018年よりギュースクルとNONJIの融合を模索
2019年
2020年
ギュースクル46歳
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