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魚は海でないと生きていけない

 この作品はクトゥルフ神話TRPG「海も枯れるまで」自陣のセルフ二次創作です。現行未通過の方は避けてくださいますよう、お願い致します。

 探索者名「虚白 両愛」「二津 汐乃々」 
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 目を開けば、美しい男の顔が見える。顔にひとつ、とても大きな傷を残して。随分と新しく、海から帰る際に何かに打ちつけたようだった。
 この男は、自分の愛しい人だ。
 海に呼び寄せたのは汐乃々だった。肺が縮み、息が苦しくなる。ただ、この男に安息を与えたかっただけなのに。痛くはなかっただろうか、その時には意識を失っていたのだろうか。それでも。

「……わ、私ね。両愛と一緒に生きていけたら幸せだと思うんだ。だから、ね、あの、い、いっしょに、生きて、くれる?」
「もちろん。というか、僕が一緒じゃないと嫌」
「ごめんね、色々心配させて」
「大丈夫。もう、大丈夫。一緒にいてくれるから」
「二人ならきっと大丈夫な気がするから」

 心臓が痛いほどに軋む。汐乃々にはこの感覚をなんと言い表せばいいのか分からず。いや、わかっていても口にするのは烏滸がましく。ただ本能に従うままに両愛の裾を引き寄せた。顔を少し前に寄せてキスをする。薄い唇から体温が溶け出している。うれしい。しあわせ。汐乃々は自身でも気付かぬうちにはにかんでいた。
 両愛は、少し驚いた顔をしていた。引き寄せられるがままで、体が倒れる。両愛の後ろに天井が見える。白熱灯がちかりと瞬いていた。

「両愛からはしてくれないの?」

 我儘だとわかっていても止められない。今、どんな顔をしているだろうか。きっと欲に塗れただらしのない顔をしているのだろうなあ。
 自身のねだる言葉で両愛の顔がそっと近づく。

「わかった。……目、とじて?」

 少し肉の薄い骨ばった体と密着する。まるで海の中にいるように、柔らかな体温が二人に体内に伝播する。この人がいないと、息をできない。魚は海でないと生きていけない。
 唇が離れ、しばらくそのまま見つめあっていた。不思議な人だ。破滅的で誘惑的。きっとその瞳に映ることは一生涯あり得ないと考えていたのに。心臓を握りつぶされたとしても、両愛が相手ならば許してしまうだろう、確信があった。
 不意に扉を叩く音で現実に戻る。夢の空気が霧散する。

「はい」

 両愛はするりと体を起こした。流れる糸の髪がなんだか艶かしかった。腰と手首を抱えられ、汐乃々も体を起こした。寄りかかったまま入口を見ると、ちょうどよくレールの擦れる音がした。

「失礼します。目を覚ましたようで、なによりです。この後医師の検診や身分証の確認などがあるので、虚白さんだけ移動していただいてもよろしいでしょうか?」
「わかりました。……汐乃々、行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」

 両愛は看護師に連れられて立ち去っていく。扉が閉まる前に両愛がそっと微笑んだ。
 扉がしまり、横向きにポスリとベッドに倒れる。布団をかき集めて顔に埋める。未だ残る熱に頬を染める。

「き、キスされちゃった……」

 清涼的な薬の匂いに包まれる。先程も同じ、人工的な薬剤の匂いがしたけれど、その奥に隠れる安心する新緑の香りと柔らかな体温は感じられない。先程抱きしめられていたのは、やはり夢ではないようだ。
 自分からねだったものの、本当に行動するとは思わなかった。なんとなく自分の感情が盛り上がった故の行動だった。なるほどこれが「きゅうくらりん」というものか。ケイゾウが言っていた。
 なんだかむず痒い。世の女性はこの感覚とともに暮らしているのだろうか。思考がだんだんと迷宮入りするなか、ぽそりと口からこぼれ落ちたのは、随分と欲の強い言葉。

「ひぁ……両愛、はやくかえってこないかなあ」

 耳に入って、自身の堪え性のなさに身体を丸める。なんてことだ。数秒前までそばにいたというのに。
 再び頬を染め上げて、より小さくなろうと丸くなる。
 遠く、人の知らない深海で海が鳴いた。


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海の化身だなって感じで書いてたけど。卓中でかなり情緒が育ったなと思います

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