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こころが死んだ経験が2回ある

タイトルの通り、わたしは今までの人生で2回ほど、こころが完全に死んだ経験をした。
きっかけはざっくりだがどちらも身内の死と仕事上の悩みが重なったことが要因として大きい。
その、こころが死んでいる状態とはを言語化するのはとても難しいが、全ての感覚が麻痺してとても鈍い状態というのが表現として近いかもしれない。
喜怒哀楽の感情はもちろん、ご飯を食べているのにご飯を咀嚼して飲み込んだという実感がない。誰かと会話しても内容が頭に入った実感がない。歩いているのに自分で前に進んでいる実感がない。水の入ったコップを持ってみてもそこに物体がある実感、手に持っている実感がない。そんな感じなのだ。
SNS経由で、無理な働き方や生き方をして鬱になってしまったというエッセイ漫画やブログを見かけると『これはあの頃のわたしだ』とその度に当時のこころが死んだときのことを思い出す。
あんなのは2度となりたくない。希死念慮こそ生まれなかったけれど、あの鈍い感覚のままでこの先の人生を過ごさないといけないのかと考えたときは、これはまずい。と思った。死にたいというよりは、このまま生きるんだとしたらつまらなすぎるという気持ちだった。(今思うと感覚が鈍っているのにつまらないという感覚や焦りは多少なりともあったのかと不思議だ)

どうやって立ち直ったかは残念ながらその2回とも詳しく覚えていない。いつの間にか立ち直っていて、それ以来それなりに楽しく過ごせている。
立ち直る方法がわからない以上、2度とこころが死なないように自分をよちよちあやしながら生き始めるしかなく、以前より大分自分に甘くしながら生きて暮らしている。我慢する前に相談してみたり、全部吐き出してみたり、そもそも引き受けない、受け止められないものは受け止めない、とかをするようになったら、こころも今のところは死ぬ気配はなくなっている。
なんなら余裕もできたのか、他の悩んでる人にも優しく出来るようになった気さえする。自分のこころが死なないためにしていることが結果的に他人にも良い影響を与えられるかもしれないなんてすごく棚ぼた。いつ死ぬかわからないのは身体的にも精神的にも一緒だから、自分を過信せずにこの生き方は続けていこうと思う。ふと書きたくなってしまった。この話は自分にとって大事な話だから、またあの時を思い出したらするかもしれない。

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