文章について

私は文章を書くことが嫌いではない。むしろ好き、と言える方だ。

今までの学生生活を省みても、周りの同級生たちと比べ文章を書くことに苦心した覚えは少なかったし、なにかしらの感想文なんかはむしろ進んで書いていたことが多かったように思う。
Twitter(現:X)なんかもそうで、日常の一端でしかない短い呟きから長文でこねくり回した自己認識や価値観まで、いろいろ文字として書き起こしてきた。

だからといって、書くことが得意なわけではなかった。

それをまざまざと知らしめられたのは、高校生の時。授業の一環で行われた小論文の模試みたいなものだった。
それは模試というには大仰なもので、議題がありそれについて規定文字数内で論じたものを出して添削されて返ってくるだけの、いわゆる赤ペン先生みたいなものだったことを覚えている。

私は、ずっと国語の成績だけは常に良かったし、書くことも苦ではない。
それどころか書きたいことが枠内に収まらないなんてこともあり得るくらいには筆の進みもいい時だってある。
正直、楽しみにしていた。意気込んでいたのだ、己が文章を見せてやろうじゃないかと。

しかしながら、返却されてきた私の小論文にはそれなりの添削が記されていた。
たしか、点数化もしくは評価がされていたはずだが、思っていた以上に芳しくなかったはずだ。
全体的な総評として、小論文としての体をなすにはやや惜しい、みたいなニュアンスのことがまとめられていた。
理論立てて語れていなかった、つまり、私の文章は下手くそであるということだった。

私は、それを見てとても恥ずかしくなった。
自分は人よりも得意だと思っていたことが蓋をあけたら実はそうではなく、驕っていたことが客観的指標をもってして明らかになったのである。
さらに言うと、自分はどちらかといえば理知的で理論派というのも自負していたところがあったから、そこを否定されたのも悔しくて、また恥ずかしかった。

それ以来、慎ましくあろうと輪にかけて心掛けるようにしている。
たしかに私は周りの人よりは文章を書くこと、ひいては頭の中に浮かぶ思考を言葉として表現することは得意なのかもしれない。
それでもそれは決して自慢できるようなクオリティのものではないし、実際、なにかそうして生み出した作品があるわけではない。そもそも持続力が欠如している。

好きと得意は違う。
身をもってして感じたあの時から、まれに人から褒められた時は、「下手の横好きだよ」そう言ってしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?