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日記の意味

日記ってどうやって作りましょうって話です。
私は私が考えてたことをすぐ忘れちゃう人間です。それに加えてどこか自分の気持ちというものを考えないようにして生きてきたため、自分が今どう感じてるか何を考えているのかがあまり自分でも分からないことが多いです。感情のディテールがぼやっとしてるって体感。だから、自分のことについてこうだよねって言われると自覚なかったりすることが多々あります。若干あまのじゃくなので「知った気になるなよ」とかも思っちゃうときもあるけど、私に「ありがとう」って言ってくれる人、「大切な存在だよ」と言葉にして伝えてくれる人、自分の気づいてなかった感情に気づかせてくれる人の存在は本当に大事にしたいと思っています。
さて、話はそれましたが、私自身、現在の自分から生まれる感情や考え、自分の中から自然と生まれた言葉というものの寡なさを自覚しています。だからこそ、私がどういう考えをする人間なのか、私はどんな人間なのか、どんな夢や希望を持って生きてきたのか、手で書いて、考えて、言葉にして、自分を知るために日記をつけていこうと考えました。

日記ってさ、何のためにつけるかっていう目的がはっきりしてないと続かんのよな。私が今日記に求めているのは、暮らしの変化やイベントを記すこと。これは、1日1日を自分の記憶にちゃんと残すため。その日1日何してたっけ、なんも思い出せないや、って日をなくすため。小学生の時って1日、1年がとても長く感じてたじゃない?だけど、いつからか、今日何してたっけ、わかんないや、って日がちょっとずつ増えてく。そういう「思い出せない1日」が増えていくと、「うわもう4月終わり⁈」「もう22歳か∼早かったな」って、1か月、1年がどんどん短く感じるんじゃないかって思ってるの。だから、本当に些細なことでいい、些細なことでいいから、その日1日なんかあったことを書く。歯磨きしてたら蜘蛛見つけた。とか、ちょっと外出てみたら雲一つない快晴で富士山まできれいに見えてたワーイとか、夕飯がサバの塩焼きだったとか。もうほんとにちょっとのことでいい。読み返したときに、「あ、あの日ね、そうだそうだ。」って思い出せる出来事があればよい。過去の1日はもう取り戻せない。そういう尊い時間を忘れないように目に見える形で積み重ねていくのが、私の中で大事にしたいことなのだ。ここで一つだけ、ルールを設けよう。「1日寝てた」は無し。日記になんか書くためにネタを探しに体を起こしてほしい。ネタは布団の中にはない。ルールはこれだけ。布団の中に居続けると滅入るし。
1日1日の時間を大切にしよう。おばあちゃんになるまでの時間をすべて大事に過ごそう。どの日も忘れたくない。私が生きた証を毎日刻もう。
以上

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