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誰かと一緒に働くということ

どうも、茗花です。

ちゃんとやってんのに、なんでこんな口うるさく言ってくるんだろう
言われた通りに動いてるのに、なんで私が出来てないように言ってくるんだろう

 上司との関係、同僚との関係、先輩後輩との関係…
働くってなったら人と関わってかないと仕事は成り立たない。なんとかしてうまくやってかなきゃいけない。けど、時にはなんでそんなこと言うんだ?って理解できない時もあったり、ディス-コミュニケーション(相互不理解)が起こったりする

 今月から定食屋さんでバイトをはじめた。
覚えることがいっぱいあって、たくさんの動きがあって、普通にめっちゃお客さんくるし、忙しくて目が回りそうになることもあるけど楽しい。

お客さんが入店する。言われたとおりに対応する。オーダーを取る。厨房へ行く。
店長からひと言、「そうじゃないんだよなー。」
「もっとこうやるんだよ。バイトのおばちゃんの対応見ててみ。」
――「な?わかる?」

わかんねえよ、一緒じゃねえか!

たまにまじで本当に違いがわかんないときもあるんだけど、大抵の場合、私がお手本との違いを比較するのをやめて自分の非を認めないようになんとか気付かないように考えないようにしてるだけ。自分を正当化したい。

私は私なりにちゃんとやってる
それを他の人がちゃんと評価してくれないだけ

そんな風に思ったときに私はいつも好きな映画の一節を思い出す。プラダを着た悪魔でアンディはミランダのために思いつく限り自分の全力を尽くしたと思っていたが、上手くいかなかったうえに叱責された。なぜ、怒られ失望されないといけないのか。自分はあんなに頑張ったのに。
一緒だなーって思う。なんで頑張ってるのにうまくいかないんだろう、評価されないんだろう。って。

 でも、自己評価の「頑張った」と他人からもらう「頑張った」の評価は違う。特に何かを始めたばかりのときの自己評価なんて甘くなりがちだ。加えて自分が自ら望んで飛び込んできた世界の中、自分が選んだ仕事でうまくいかないことを環境や人のせいにするのはお門違いだ。
 その世界に生きてきた人は自分のやり方自分の仕事があってそれをちゃんとこなしている。ぽっと出の小物が甘えるな。自分を律するんだ。

 自分が出来ていないということ、足りないものがあるということをちゃんと自覚して、何が出来ていないのか、どうすればよかったのか、どこを意識すれば出来るようになるのか、そういうことを感情にとらわれずに、機械的に無機質にちゃんと考えないといけない。

自分が甘えてるんだなって気づいた時、私の心の中でアンハサウェイが「私、しくじったのね。」って言ってるし心の中のナイジェルがプンスカ怒ってる
そうやって映画のあの場面を思い出すと、あ、私が未熟なんだ、と素直に納得して改善のために思考を回せる。

なんか違ったんだろうな、元気と勢いが足りなかったんだろうか。タイミングの問題?目線が大事なのか?
そう考えると意識して接客をやってない部分が多いな。直そうな。ってなれる。

 誰かと一緒に働くって難しい。人間関係、信頼関係の構築が必要だから。
でも、信頼してもらって仕事を与えてもらうためには自分もボスを信じなきゃならない。独りよがりな働き方よりもそっちの方が学びを得る機会は増えるんだと思う。

 コミュニケーションエラーがたまに起こっちゃうのは仕方ない。人間だし。でも人間だから再構築できる、修正できる、改善できる。
反りが合わない人もいるかもしれない。仲良しこよしをしろなんて言わない。でもお互いに仕事だし給料もらってるから、ある程度折り合いをつけて、妥協して、うまいことやってかないといけない。他人も道具も使ったっていいのだ。

 仕事の中で信頼される人間になるために、まずは相手を理解しようとし、信頼しようとする態度を身につけてみてはどうだろうか。

ちょっと眠ったくてまとまりが悪いかもだけど
本日はここで
おーわり

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