表現することにエネルギーを注いでみる
最近気がついたことがある。それは、
私はじぶんを表現するためのエネルギーを節約している。
ということだ。じぶんを表現する手段にはいろいろあるが、代表的なのは、
話す、身だしなみ(髪型、服装、持ち物)、芸術(絵画、詩、写真、躍りなど)
かな、と思う。私はこのすべてをさぼって生きてきた。
さぼるのは簡単だ。簡単に言い訳を作れる。私の場合、
「話す」背が低くて、声が小さいのでどうせ届かない。
「身だしなみ」こんな容姿で気張っているのは恥ずかしい(校則厳しいし)
「芸術」技術的なセンスがない
ここに文章を書いているくらいだから、表現するのは好きだ。たぶんみんな本来は持っている欲求だと思う。それなのに、表現するときには必ず現れる、恥や怖さというじゃまものに向き合おうとしないで、言い訳を作ってきた。そこに割くエネルギーがもったいない、わかる人にわかってもらえればいいや、と甘えていた。そうして節約したエネルギーを勉強することに回せば親は喜んでくれる。それなら、そっちの方が楽だしそれでいいや、と思っていた。
でも最近は、このままいくと、じぶんのことを理解してくれる人や、温かく迎えてくれる場所との出会いを無駄にするな、と思いエネルギーを向ける方向を変えようとしている。今までやらなかったことをやるのは難しいけれど、なんとなくいま必要なことだと思うので、少しだけがんばってみようと思う。
まずはユニクロで、いつもは着ない明るい色を選んで、白いパーカーを買った。親にはさっそく変だと言われたが、気にしない。気持ちがよくて、にやけてしまう。いつもにやにやして暮らしたいな。怪しい人だけど。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?