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大学生ってなに

ずっとずっと「大学生」に憧れていた。受験勉強をしていて行き詰ったときは、「大学生になれればもう何でもいい」とまで思っていた。そして今年、念願叶って大学生というものになった。空きコマに友達と勉強したり、パソコンでレポートを作成して提出したり、夜遅くまで飲み会に参加したり‥。いわゆる「大学生」らしいことを一通り経験した。

そして今、大学生ってなんだろうか、とぼんやりと考えている。

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入ってから一番つよく感じたのは、「大学生になれればいい」というものではないということ。(もちろん、そんなことは薄々気づいてはいたのだけれど‥。)

一般的に言われるように、大学生はおおよそ自分で時間の使い方を決められるし、行動範囲が広がる。一人暮らしなら、生活の仕方も自分流にできる。

今までとは格段に増えた選択肢。この中から何を選ぶか。

小中高と盲目的に親や学校の言う通りに過ごし、服装や友達との付き合い方までも決定権を委ねていた。私自身、それが楽だったからそうしていた。

浪人のとき、一年間という大量に与えられた時間をどう使うか、初めて真剣に考える必要が生まれた。常につきまとう将来への不安を脇にどけながら、なにがしたいのか、なにを捨てるか、じぶんは何なのか、いろんなことを考えまくった。(受験勉強もしていた)

考えて考えたけれど、結局なにが正しいのか結論は出なかった。出ないまま一年が終わっちゃたな、と少し残念な気持ちだった。

でも、それは違った。考えたことはちゃんと体の奥に残っていた。これはどうすればいいんだっけ?どっちを選んだほうがいい?と迷ったとき、大抵もうその問は考え終わっていてすぐに答えが出る。

言い換えると、じぶんの中に細いけれど軸と呼べるものができた、ということなのかもしれない。それは、出会った人や経験によってこれからも変わり続けると思う。

だから、増えた選択肢を前にしても、それほど戸惑いを感じない。まだまだ迷うことだってあるけれど、選べるということを素直にうれしいと思う。

ここで少し話を戻すと、「大学生」になったとして、なにも選ぶことができない状態だったら怖いな、と思った。なんとなく周りの人に合わせて勉強して遊んでバイトしてサークルして。もちろんそれで楽しいと感じるならそれでいいけれど、わたしの場合、なにか違う、という若干のもやもやを抱えているだろうな、と思う。

決して浪人することを薦めているのではない。というか、しないほうがいい。ただ、わたしにとっては意味のある時間だった、ということ。

「なれればいい」と思っていた頃のじぶんに、その時間がなければなってもそんなに楽しくないよ、と言いたい。

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私は受験勉強を始める前やその最中もずっと、将来なにをしたいか、「夢」はなんだ、と考え続けていた。でも、今はっきりと思うのは、その答えは出るはずがなかった、ということだ。考えた時間は全く無駄というわけでもない。その頃考えていなかったら、きっと今同じように悩んでいるだろうから。

今はもうわかる。わたしの場合、夢みたいなものは空から降ってくるんじゃなくて歩いて行った先に見えるものだと。だから毎日毎日ベターな選択を積み重ねて歩いていくしかない。今いるこの大学この学部に入ったのは、なにか明確にやりたいことがあったからではない。それでも、ふてくされずに考え続けて出た一番ベストな選択ではあったと思う。

今まで歩いてきた道は、薄暗い場所で、たった数本の道から選んで進んできたトンネルのようだった。でも、大学生になった今、じぶんがいまどこにいるのか少しはわかるし、周りはどんな景色か見えるようになってきた。そして選べる道も増えた。選んだ道がどこにどんなふうに繋がるのか、それはじぶんにも他人にもわからない、それがおもしろい。

私にとっての大学生は、トンネルを抜けて、選んだ道を歩く時間を与えられた存在。そんな気がしている。

英語の授業で思いがけず興味深い文章に出会ったり、前から気になっていた文化人類学の講義を受けたり、毎朝馬に乗って世話をして癒されたり、部活で学部の先輩の愚痴や忠告を聞いたり、そんなばらばらした毎日がいつかの日々をおもしろくしてくれると願っている。

まだまだ長い学生生活。思っていたような生活ではないかもしれない。6年後、振り返ったときになにを思うのか、今からすこしだけたのしみだ。

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