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狸に憧れて

狸は一夫一妻制で、溢れた雌は狸家庭の支援者です。一方、お猿の世界では、雌の大将の下に大家族を築き生活してます。其処では、雄は便利な道具の食子って感じです。男子は狸の世界が懐しいでしょう。人類も昭和天皇が憲法を改訂するまでは、大家族制で、大奶奶が家族を取り仕切っており、家族の経済も大奶奶の管理下です。当時の経済系統としては、農業が基本ですので、子供も労働力として計算され、子供の数が将来の豐かさを象徴するって考えで、拡大志向の大奶奶たちは競って子宝を作ってました。だから、人口爆発と言われるまでに人類が増加しました。大奶奶達が日本や中国の出生率の低下に兎や角言うのはその時代に思考が固定されてるからです。

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

日本国憲法、衆議院

昭和天皇の憲法が発布されると、大家族制が崩壊し、大奶奶を除く市民の間では、家族は個人対個人の結び付きに依り成立すると認識されました。民主主義は個人が基本単位ですので、当然の規定ですが、問題は、文部省 (今の文科省)が此変化を国民に周知するのに偏向を加えた処に有ります。「自由恋愛」の名の下に娯楽としての男女交際を振興し、大家族制が否定されてるのにもかかわらず、大奶奶に気を使った所為なのか、社会系統の基盤としての核家族の意義を教育しませんでした。勿論、教育無しで民主社会の一市民としての自覚を持つ人は居無い。文科省のお陰で、クラミジアの蔓延と少子高齢化が今日問題化しています。

特に、生物的に問題なのが、生殖・再生産と娯楽を組っ付けた事です。自由恋愛の名の下に、男子は、誰に性交を求められても快く性交する様に母親に躾られた。一方で、女子は気分次第で不特定多数の男子と性交を繰替えすので、病気を貰ったり妊娠したりする。妊娠しても、元々子供が欲かった訳じゃ無いから堕胎したり、生れても冷たくする。少子化の一因です。

更に、話を稚児しくしたのが、母親に依る男装の麗人の偽装です。戸籍法の不備に依り、母親に、子供の出生届を提出する際、医学専門家の判定無しに子供の性別を決める裁量が許されている。男子が欲しい母親に女子が生まれると、其母親は戸籍に男子として登録し男子として育てる。所謂、LGBT問題です。

更に、性別に関しても科学する人達が居て、常識を捏造しました。先ず、性染色体ですが、ヒーュマン・ゲノムプロジェクトでは、Y染色体は存在しません。つまり、性別は、表現型 (phenotype)で、受精後の環境に依って後天的に決定される因子です。遺伝子に依って決定される遺伝型 (genotype)では無いので、男女の産み分けは可能かと。只、産み分けの条件は此から検討する必要が有る。又、ヒトも単性生殖可能で、男子の生殖に於ける参与は、多産の女子の卵用遺伝子補給の様です。大家族間の絆としての夫婦の有様を補強するために此な嘘を考え着いたんでしょう。

という訳で、頭の良い人達にとって一番頭が痛いのが、子育てです。子供はトイレでも生めますが、誕生から小学校入学までの幼児教育の責任を取る機関が無い。正確には、乳幼児期の子供の教育は母親の責任ですが、其母親を指導する機関が無い。大家族制の時代は、家族内の大人や同世代の子供達との交流を通じて社会人として必要な知識・技能を身に着けれましたが、核家族では、交流するのは「愛が有れば全てが許される」と信じてる母親しか居ない。其結果、人付き合いの出来無い独身大人ばっかりに成った。因みに、昨今のAIの流行も他人との付き合いが出来無い若者が、AIとの対話に救いを見出したって感じかと。という訳で、AI作画やVRに登場する人物は、乳房とお尻が生物として有りえ無い位大きい十代の女子です。勿論、男子が求める巨大な乳房とお尻は、母親からの性教育の産物で、性交相手の女子を希求する心の象徴です。

それで参考になるのが乳幼児保育です。乳幼児期から保育園に通ってた子供を看れば、幼少時に集団生活を送る有用性が判るでしょう。幼稚園では駄目みたいです。

後は、相方探しですが、此方は幼少時から人付き合いを学習すれば自然に適当な相手と手を繋ぐ様に成るでしょう。「三つ子の魂百まで」です。今後、大奶奶が「竹馬の友」の邪魔をし無ければ、更に幸せな人生を送れる「両性」が増えるでしょう。他人との繋りは「初まりが若い程、且つ、長い期間続く程」安定です。でも、何もしないと人類滅亡の危機が訪れるのは、頭の良い人達が良く知ってるでしょう。

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